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金子正則知事

香川県にこれだけ多くの近代建築があるのは、民選知事第一代で6期24年間という長きに渡って香川の政治の中心にいた金子正則知事の功績があります。

「うどん屋+香川の建築マップ」

金子知事が県政で活躍されていたのは、40年前の事なのでどの様なお姿の方だったのかは、若い世代の人は知らないと思うので顔写真をUPします。
スクリーンショット(2014-08-05 9.06.42)
金子知事は香川県出身のアーティストの猪熊弦一郎と丸亀高校の後輩と先輩の仲で、知事がアートに傾倒して見えるのはその影響が強いからでしょう。

金子正則知事は当時「デザイン知事」「建築知事」と言われていましたが、大きな河川がなく干魃が頻発するために、農作物が育ちにくい香川で田園都市構想を掲げて知事となり、高知の早明浦ダムから「香川用水」を引っ張った人物です。その事は忘れ去られている感がありますが。

金子知事の写真に書いてある「高志低居」というのは金子知事の座右の銘です。志は常に高く、しかし偉ぶったりせず常に謙虚で、という意味の言葉です。

「香川県民みんな親戚であると思うてきた」は米寿の記念の会の時に話された言葉で、その言葉からも分かるように、地元愛あふれる方であったようです。

知事になる前は裁判官で合ったため全国各地の都市で仕事をされていたので、将来の香川県が日本国内の中でどうあるべきかを常々考えていたそうです。

来庁された客人との昼食は必ず「うどん」だったそうで、香川がうどん県と言われる基礎を作ったとも言われています。

高松の街は高松空襲で玉藻公園と栗林公園以外の97%が焼土と化した為、新しい都市を形成するのに金子知事の様な県民に先見性のあるビジョンを示しながら未来へ希望を与える人物が必要だったとも言えます。

今こそ香川県はアート県と謳ってPRしていますが、金子知事がいなければ瀬戸内国際芸術祭も開催されなかったでしょう

金子知事については金子の人生を綴った著書「高志低居」という本に詳しく書いてありますが、残念ながら絶版です。香川県立図書館に行けば借りることが出来ますので、ご興味のある人は是非読んでみてください。
金子正則Wikipedia


2016年9月4日(日)まで高松市歴史資料館にて金子知事の収集されていた品々や書物も展示されている展覧会が開催中です。
瀬戸内国際芸術祭2016パートナーシップ事業第71回企画展
「心を豊かにするデザイン-讃岐民具連とその時代-」
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香川県立体育館の池

香川県立体育館の池にある石は、建物完成後に晩年のイサムノグチの制作パートナーであった和泉正敏によって配置されたものです。自然な形の香川で採れた石たちが前衛的な形状をしている建物を引き立てています。
香川県立体育館池

建物側面の中央部から飛び出しているコの字の部分は雨どいです。
大きな屋根面積に対して2カ所しか雨樋がないので、大雨が降ったときはそこから雨水が滝のように池に流れ落ちます。