旧香川県立体育館に思う 第4部 検証できない決定

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BUNGA NETの連載「アーキテクトボイス50」に、依頼もされていないのに51本目として応答している文章の、4本目である。第3部では、2021年のサウンディング型市場調査に提案者として加わった経験から、手続きの内側で何が起きていたかを書いた。2か月余りという申込期間、面談の記録が作られていなかったこと、外部の専門家の意見書がほぼ全面黒塗りであること。私の立場については第1部の冒頭に書いた。

ここから、一般則として取り出す。

事業者から非公開で聞き取る仕組みを、公共的な決定の根拠に流用すると、検証できない決定ができあがる。

これが、この件から取り出せる唯一の一般則だと私は思っている。

サウンディング型市場調査は、悪い制度ではない。事業者は競合に知られずにアイディアを出せるし、行政は市場の温度を早い段階で測れる。非公開が原則であることは、この手続きの長所であって欠陥ではない。全国の自治体で広く使われている。

問題は、その手続きの結果を、公共財産の処分という後戻りのできない決定の根拠に使ったことである。非公開が原則の手続きから出てきた結論は、非公開のままである。面談の記録がなく、専門家の氏名が伏せられ、意見書が黒塗りであることは、市場調査としては何も間違っていない。だが、その市場調査を経て解体の方針を固めた、と県自身が述べている以上、後から誰も検証できない決定がそこに一つできあがっている。

第1部で書いた新香川県立体育館の設計者選定と並べると、輪郭がはっきりする。同じ県の、ほぼ同じ時期に、二つの建物について外部の知見が使われた。設計者選定は、公正性を担保するために公開が原則で、一次審査を通過した者が公表され、130人の傍聴のもとで公開プレゼンテーションが行われ、映像記録が残っている。サウンディング型市場調査は、ノウハウを保護するために非公開が原則で、氏名は伏せられ、面談の記録は作られなかった。

どちらの原則も正しい。正しい原則を二つ並べた結果として、片方の建物の判断だけが検証できない。

だから、田根氏の制度提案への私の追加は、三つで済む。

・公共建築の保存活用の可否を、サウンディング型市場調査の結果に依存させないこと。
・依存させるのであれば、面談記録の作成と、判断に用いた外部意見の事後開示を、あらかじめ義務づけること。
・募集期間を、組織が意思決定できる長さに置くこと。

制度がないのではない。制度の組み合わせ方の問題である。そして、これは香川だけの話ではない。

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乾久美子氏の稿に応答する。

乾氏は、文化的価値の評価があいまいな段階で建築家の側から硬直的なオーセンティシティ、真正性、つまり材料や技法やデザインがどれだけ本来の姿を保っているかという概念だが、それが主張され、管理者側が困惑するという、保存側の弱点を書いた。連載のなかで、最初に自陣営を批判した文章である。そして絵画修復の可逆性の原則を援用して、解体する側は判断を遅らせよ、保存する側はルールを伴う改修を許容せよ、と両側に一つずつ要求した。

工事の一時停止に、連載のなかで最初に理論的な位置づけを与えたのも、この文章である。

そのうえで、二つ応答する。

一つ。判断を保留するとして、保留している期間の維持管理を誰が負担するのか、という問いに答えがない。乾氏は詳細を知らないと断って書いているから、これは不足ではなく、単に接続されていないだけである。

その答えは、2021年に一度、具体的な形で提出されている。私たちのBプランは13.4億円を県から借り受け、30年かけて建物内で得た収益で完済する。これは判断保留の期間を民間の事業として成立させるスキームそのものである。理論と実務が接続していないのではない。接続を試みた提案の側が、接続されなかった。

二つ。硬直的なオーセンティシティの主張について。

保存を求めていた私たちが出した案は、屋根を撤去する案だった。この建物の構造的な核心であり、我が国最初期の吊り屋根構造という価値の根拠そのものである部分を、外す案である。

それを2021年に出している。

そして設計者の側は、2026年3月の声明で、継承とは単に形を残すことではなく、今の時代に求められる新しい用途を有した上で継承していくことだ、と書いている。民間から用途の変更も含めた再生の検討・提案がなされるなかで、その可能性の議論が進まない状況を深く憂慮する、とも書いている。

保存側が形の維持に固執している、という図式は、この件については当たらない。

これは、私たちのほうが柔軟だった、という話ではない。屋根を外したのは柔軟だったからではなく、残す裏づけがなかったからである。第3部第8節に書いた通りである。だが結果として、2021年の時点で、保存側の提案はオーセンティシティの対極にあった。それでも通らなかった。

だから、乾氏が保存側に求めた譲歩は、この件についてはすでに済んでいる。済んだ上で成立しなかった。譲歩が足りなかったのではない。譲歩を受け取る手続きのほうが、機能しなかった。

屋根を撤去し改修した旧香川県立体育館CG

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香川県外の類似の事例の話をしておく。

1963年に竣工した下関市体育館が、2024年に解体された。設計は坪井善勝。丹下健三の香川県庁舎東館、国立代々木競技場、東京カテドラルの構造設計を担当した構造家が、構造設計だけでなく建築設計から関わった数少ない作品の一つである。連続する山形アーチの架構で、鉄骨造ながら合掌の形から水平梁の形へとなめらかに断面が変わる。屋根はアルミ板葺きの放物曲面だった。新しい体育館が2024年8月に開館し、旧館は解体された。

香川との共通点は多い。1960年代前半の体育館、大空間構造、代々木と同じ人脈、新しい体育館の建設に伴う解体。

だが、目指されたものが違う。下関では、最初から保存が目指されていない。

その上で、何が行われたか。

旧館の放物曲面屋根のアルミ板を丁寧に剥がし、新しい体育館のメインアリーナ棟、そのエントランスホール壁面の上部に、菱張りで再利用している。元は300ミリ角だったものを、傷んだ周囲を切って小さくして使っている。経年変化による塗装の落ち具合の違いを、そのままグラデーションとして見せている。当初の設計案にはなかったアイデアが出され、市長の承認を得て実現した。

旧館の2階ロビーで古い石膏模型が見つかったことをきっかけに、メモリアルコーナーが作られた。かつての石膏模型と、新たに製作された構造模型が並んでいる。常設展示化のためのクラウドファンディングも行われた。

そして2024年10月19日、日本建築学会中国支部が主催し、山口県建築士会青年部の協力で、解体現場の見学会が開かれている。学会の支部が、解体の現場を教育の機会として組織した。

この記事を載せたのは、このアーキテクトボイス50の連載を載せたのと同じBUNGA NETである。1年前のことである。

BUNGA NET/坪井善勝が設計した下関市体育館で解体見学会

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では、香川では何も組まれていないのか。そうではない。記録も部材の保存も、計画されている。

2025年5月20日の報道提供資料によれば、県は解体工事の予算とは別に、5200万円の記録保存事業を実施する。工事前、工事中、工事後の三段階で、図面、写真、動画、三次元データによって記録し、それに基づいて報告書を作成して学術的な価値をまとめる。記録に残す対象は、形状などの建物の現況と、建設当時の構造技術などの技術力である、と書かれている。あわせて、部材の一部を保存することも予定されている。

これは、きちんとした仕事である。

ただ、こうした内容は、県の報道提供資料のような一次資料に当たらなければ分からない。一般の人が日常的に目にするものではない。第2部で書いた通り、これだけの内容が決まっていても、第三者が伝えてくれなければ外に出ていないのと同じである。

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そのうえで、対象が違うということは書ける。

保存が予定されているのは、主に構造に関わる部材と、外構の記念物である。報道提供資料が言う、技術力を後世に残すという趣旨に沿っている。

下関で新しい体育館のエントランスに菱張りされたアルミ板は、そちらではない。あれは、人が見て、触れられる形で残る。

私が2021年の提案にふるさと納税の返礼品として書いたのも、そちらだった。剣持勇デザインの置き家具、桜製作所の作り付け家具、コトブキ製作のFRPの観客席、丹下事務所デザインの建具、140メートルの手すり、手書きの室名札、50年間使われていた立て看板。人が触っていたものである。

観客席手すり/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

つまり、保存と、解体を前提とした継承が別の手続きであるだけではない。継承のなかでも、構造の証拠を残すことと、使われていた痕跡を残すことは、さらに別である。

下関は後者をやった。香川は前者をやっている。

どちらが正しいという話ではない。県は、この建物がどう作られていたかを残そうとしている。私が提案したのは、人がどう使っていたかの痕跡だった。

正直に書けば、私にはここに引っかかりがある。構造部材が残ることで、価値の継承になるのだろうか、という疑問である。学術的にはなる。だが50年ここに通った人にとっての継承には、たぶんならない。

トレーニング/PHOTO:Shintaro Miyawaki

証言についても書いておく。

設計と施工に関わった人たちの話は、第2部に書いた通り、2018年に日本建築学会四国支部の委員会と私たちの会との共同で、意匠と構造と施工の三つの側から聞き取っている。県のいまの記録保存事業に人の証言が含まれていないとしても、それは誰もやらなかったということではない。そしてその記録が、その後の県の判断に使われた形跡はない。

聞き取りの様子/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

これは、県がやるべきことを私たちが代わりにやった、という話にしたいのではない。同じ建物について、解体決定の前に外側でだけ記録が積まれていた、という話である。

あと違いが残っているのは、下関では学会の支部が解体の現場を公開した、という一点である。香川では、いまのところそれは組まれていない。私が知らないだけかもしれないので、断定はしない。

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現在地を書いておく。ここは公表資料と報道で追える。

2025年7月、再生委員会が民間による買い取りとホテル活用の意向表明書を県に提出した。
8月7日、県が解体工事の入札を公告する。
8月25日、DOCOMOMO Japanが知事、県議会議長、教育長に要望書を出した。
8月26日、再生委員会が記者会見を開き、解体手続きの差し止めを求める法的措置と、住民監査請求を行う方針を表明した。

9月5日、解体工事の一般競争入札が総合評価方式、価格だけでなく技術提案の内容も評価して落札者を決める方式で実施された。
同じ9月5日付で住民監査請求が提出され、8日付で受理されている。これはのちに棄却された。
10月7日、入札の結果が判明する。予定価格9億2041万6200円、低入札調査価格8億4678万2200円に対し、落札額は8億4700万円だった。もう一者が8億9320万円で応札している。

11月27日付で、解体費用等の公金支出の差し止めを求める住民訴訟が高松地方裁判所に提起された。
12月11日、県議会が契約議案を賛成多数で可決し、県は契約を締結している。契約工期は令和7年12月11日から令和9年9月17日までである。

2026年3月10日、訴訟の第1回口頭弁論が開かれた。
3月20日の地元説明会では、アスベストや地盤沈下対策への不安が相次ぎ、着工が延期されている。
4月10日に仮設工事と外構の解体に着手した。

そして2026年9月3日、県は9月15日から10月14日までの工事中断を発表した。

解体工事中の旧香川県立体育館/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

証拠保全、つまり訴訟の前や進行中に、現状のままでは失われる証拠を裁判所が調べて記録しておく手続きだが、その要請を受けた県の自発的な中断である。県は同じ発表のなかで、中断の期間が終われば直ちに工事を再開するとしていた。
BUNGA NETのアーキテクトボイス50の連載は、中断の発表の翌日に始まり、中断期間の最終日に、42人目で休載となった。編集部は、県が調査期間の終了後に工事を再開する姿勢を変えていないことを、休載の理由に挙げている。

なお、DOCOMOMO Japanの要望書は解体費を約10億円と記載しているが、提出は2025年8月25日で、入札の実施はその11日後である。当時利用できた最善の情報であって、誤りではない。金額が確定したのは10月7日である。

1年2か月のあいだに、これだけのことが起きた。11年動かなかったものが、この期間に集中している。

起点は、県が解体を実行に移す段取りに入ったことである。価値が新たに認められたからではない。解体の工事が始まると決まってから、はじめてこれだけの動きが出た。そこに7月の買い取りの意思表明が重なって、動きが一気に集中している。

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最後に、自分のことを書く。第1部で立てた命題の、最後の実例だからである。

2023年2月、県が解体方針を発表した。私は納得できず、約1か月半後の香川県議会議員選挙に出た。準備不足もあり、落選した。

以後、私は『建築家でありながら選挙に出て、敗れた人』として見られるようになった。私個人に、政治の色がついたのである。表で発言しにくい空気が、そのあとずっとまとわりついている。

勝ち負けの話をしたいのではない。制度の回路を使った結果として何が起きたか、という話である。

サウンディングに応じれば、手続きの内側に組み込まれる。組み込まれた者は、非公開の原則によって、自分が何を出したかを詳しく語れなくなる。

新しい県立体育館の評価委員を引き受ければ、委嘱(いしょく)の範囲の外は語れなくなる。

アドバイザーを引き受ければ、保存運動があることを理由に、氏名を伏せられる。それが自分と所属組織を守るための配慮であることは、行政不服審査の弁明書に書かれている通りである。

選挙に出れば、政治の人になる。

どれも、制度のなかで意思を示すための、まっとうな方法である。そして使えば使うほど、その後に語れる範囲が狭くなる。

私が10年で経験したことと、2018年の審査の席で起きたことと、アドバイザーの氏名が伏せられた理由は、同じ形をしている。

だから第1部の結論に戻る。これは近さの問題ではない。近づいた人から順に、語れる範囲が委嘱と手続きの内側に縮んでいく。近づくほど、その人は制度の一部になる。制度の一部になった人は、制度の外の議題を持ち出せない。

私は、この構造の例外ではない。例外であるどころか、もっとも典型的な標本である。近くにいて、発言し続けた一人がいて、それでも構造は動かなかった。だから私は、自分を証拠として差し出す。私は自由な立場だからこれが書ける、というわけではない。私は自由ではない。ただ、いま矢面に立っていないというだけである。

落選後ひとりで2年間続けた毎週朝の清掃活動

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その後のことも書いておく。

落選の翌年、2024年の8月21日から9月17日まで、JR高松駅の駅ビル内にあるオルネアートギャラリーで、「沈みゆく船からの手紙 旧香川県立体育館 発見された設計図展」という展覧会を開いた。構造設計をした岡本剛の家から、検討段階の構造図が見つかったことによる展覧会である。岡本剛は、1915年生まれ、1994年死去。会期中はトークイベントを何度か開き、近代建築の保存と再生の分野で全国的に知られる建築史家の方にも登壇いただいている。

沈みゆく船からの手紙 展/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

2014年7月から、この展覧会まで、ちょうど10年である。

会期中の2024年9月13日に、スペシャルトークイベントを開いた。私を含めた香川県内で活動する5人が、この建物について自由に語り合うという趣旨で行った。イベントの様子はライブ配信を行い、後に補足資料を加えた動画を公開した。

いま原告となっている旧香川県立体育館再生委員会の長田慶太委員長は、この日に登壇しており、展覧会をきっかけに動き始めた、とBUNGA NETのインタビューで語っている。2025年10月23日公開、聞き手は宮沢洋氏である。再生委員会の成り立ちについては、私が説明する立場にない。関心があれば、そのインタビューを読んでいただくのがいい。
BUNGA NET インタビュー:長田慶太氏

そのインタビューのなかに、私が書いておきたいことが二つある。

一つ。彼は2024年、解体費が約10億円と報道されたあと、その妥当性を検討する有識者委員会を設置してほしいという要望を議会に上げようとして、一人で県議会議員を回っている。相手にされず、応じる議員にたどり着くまで数か月かかり、2024年12月の議会で一般質問に上がったが、答弁で流された、と述べている。

第1部に書いた通りである。議会に旧香川県立体育館を持ち込む回路は、存在していた。2015年には解体を促す側から使われ、2024年には検証を求める側から使われて、通らなかった。同じ回路が、方向によって違う働き方をしている。

二つ。彼は、10億円という数字が出たことで物事が初めて俎上(そじょう)に乗った、一般の人も客観的に判断ができるようになった、という趣旨のことを述べている。

同じ数字を、私は逆の意味で受け取っていた。

10億円が行政の出した具体的な数字であることの大きさは、私も分かっていた。それまで、この件について外に出ている金額らしい金額はほとんどなかったからである。だが同時に、私はそれを、県の内部で予算がついたということだと理解した。予算がついた以上、解体への動きを止めるのはこれまでより難しくなる。そう読んだ。

一方は、これで議論が始められると読んだ。もう一方は、これで止めにくくなると読んだ。

どちらも当たっていたと思う。数字が出たことで一般の人が判断できるようになり、同時に、行政の側では後戻りしにくい段階に入った。判断の材料が外に出るのが、動きを止められる時期を過ぎてからだった、ということである。

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そのことを、県内の読者に向けて書いておきたい。

2014年8月、当時の教育長は雑誌の取材に対して、旧香川県立体育館の閉館について県民から批判的な反応は届いていない、と述べている。2015年11月の県議会では、県立体育館の保存に対する県民意識はそれほど高くはないと思われる、と質問した議員が述べている。

どちらも、届いた反応がない、という話である。県庁に苦情が来ていない。自分の周りで声が上がっていない。それが、県の側にも議会の側にも、保存を求める声は強くないという認識をつくり、判断の材料として使われている。

だが、反応がないことは、賛成でも容認でもない。

この件について、県民に意思を問う手続きは行われていない。世論調査も、公聴会も、意見公募もない。問いが公に置かれていなければ、反対も賛成も形にならない。反応の不在を材料にできるのは、問いが置かれていた場合だけである。

そして、仮に問われたとして、県民は何を材料に判断できただろうか。

県自身の改修費の試算、約18億円という数字は、サウンディング型市場調査の実施要領にしか書かれていない。正確には、その別添である建物の概要の、工事費試算の項である。提案を出そうとする事業者が読む資料であって、県民に向けて示された数字ではない。そして県は、その調査のページを削除した。いま同じ数字を確かめようとしても、たどり着けない。

10件の提案が出たことも、そのうち2件に事業計画が付いていたことも、2022年1月の結果の公表で示されている。ただし、そのページも数か月後には削除され、見られなくなった。

そして、そこから先は最初から出ていない。提案の中身は公表されていない。面談の記録は存在しない。専門家の意見書は黒塗りである。

これは県民だけの話ではない。面談の場にいなかった人は、県の内側にいても、記録を通じてしか、そこで何が示されたのかを知ることができない。面談の内容に限っていえば、判断の材料が届かないという点で、県民の立場と、判断する側の立場は同じ形をしている。

賛成も反対も、材料がなければ形にならない。反応がなかったのは、関心がなかったからとは限らない。

そして2024年に、解体に10億円かかるという一つの数字が出た。それだけで、この件は初めて多くの人の議題になった。10億円は、判断の材料ではない。判断の材料の、いちばん外側にある一つの数字にすぎない。それでも、それしか外に出ていなかったから、そこから始まった。

私はこの10年、価値を説明しようとしてきた。丹下健三の設計であること、代々木と兄弟であること、我が国最初期の吊り屋根構造であること。それは間違っていなかったが、足りていなかった。県民が判断するのに必要なのは、価値の説明ではなく、判断の材料が公開されていることのほうだった。

だから、県内の読者に向けた問いはこうなる。次に県が同じ規模の判断をするとき、私たちは何を見れば、賛成か反対かを自分で決められるのか。

いまの制度では、見られるものがほとんどない。それは第3部と、この第4部で書いてきた通りである。

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展覧会までの10年を、外から見て私が前に立っていた期間だと書いた。いまは、その位置にはいない。再生委員会とも別の立場である。

10年やった人間には、失うものが増える。いまは、この件で前に出ることはない。それは私の側の事情である。この建物のことを考え続けてはいるが、それは一人の香川県民としてである。

バドミントン/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

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価値の言語は届かなかった。第2部で書いた通りである。

数字の言語も一度出した。坪あたり94万円で始められる段階施工の計画と、30年で完済する事業スキームと、81枚の概算見積表と、用途ごとに探した運営の候補である。届かなかった。届かなかった理由の一部は、その提案が非公開を原則とする手続きの内側に入ってしまい、そこで判定され、記録が残らなかったことにある。

では、制度の言語なら届くのか。

田根氏の五項目に、私はいくつか足した。評価委員会の委嘱の範囲に隣の建物を入れること。市場調査の結果を処分の根拠に使うなら記録の作成と事後開示を義務づけること。募集期間を、組織が意思決定できる長さに置くこと。公共建築の処分の判断に会計上の耐用年数を使わないこと。
そして、判断の材料を、判断の前に外に出しておくこと。
どれも、新しい制度をつくるというより、いまある仕組みの運用を少し変える話だと思う。

だがそれが届くかどうかは、私には分からない。

分かっているのは、この12年で、価値の言語も、数字の言語も、制度の内側の正規の回路も、それぞれ試されたということだけである。試し方が下手だったか、足りなかったか、遅かったか。そういう話でもあるだろう。だが、そのすべてに共通しているのは、使うたびに、次に語れる範囲が少しずつ狭くなったということである。

そして、それでも私は次の回路を探している。

2021年のサウンディング型市場調査の提案に共に加わっていた内山博文氏から、当時を振り返る言葉が届いた。

内山氏は、事業として実現する前提に立ち、どうすれば前に進めるかを議論する体制がなければ、この種の難しい案件は動かない、と書いていた。そして、立場の違いを超えて、経済合理性だけでなく、建物の本質的な価値に置き換えて議論し、検討することができなければ、よいものはなくなっていく一方で、何も残らない国になってしまう、とも書いていた。最後は、この国の建築リテラシーがもっと上がり、国も、国民も、企業も、建築を国の財産として認識できるようになってほしい、と結んでいた。

長く第一線で、古い建物を事業として生かし、自治体と組んで公共施設の運営にも携わってきた人が本件を通じて感じたのは、数字の外にある価値を、どう議論の場に乗せるか、という問いだった。

第2部で書いた価値の言語と、第3部で書いた数字の言語は、別々に出されて、どちらも届かなかった。二つを同じ席で扱う場が要る。内山氏の言葉は、そういう意味に私には読めた。

そのうえで、私自身はこう考えている。建築を読み取る力が社会の側に育つことは、もちろん要る。同時に、建築の側も社会を知らなければならない。第2部で書いた、価値の言語を用途の言語に翻訳するというのは、そういうことである。どちらか一方だけでは、価値観の断絶は埋まらない。そして埋まらなければ、何も残らなくなる。

42人の文章を読んで、私が一つだけ確かに思ったのは、これが香川だけの話ではないということである。どの県にも、価値を語りうる人が一つの審査の席に集まる場面がある。どの県にも、非公開が原則の市場調査を判断の根拠にしてしまう瞬間がある。どの県にも、隣にいるほど語れなくなる人がいる。

次に同じ場所に立つ誰かが、自分がいまどこに立っているのかを測る材料として、この記録を使えるならそれでいい。そのあと何をするかは、その人が決めることである。私は答えは持っていない。持っていないまま、記録だけを置いていく。

了
2026年10月20日 河西範幸

アリーナ/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

旧香川県立体育館に思う 第3部 市場調査という名の関門

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ここから先は、私自身が内側にいた手続きの話になる。だから、線を引いておく。

2021年のサウンディング型市場調査、地方公共団体が所有する建物や土地の活用を検討するにあたって民間事業者と直接対話し、広く提案や意見を求める市場調査の手法だが、これに私は提案者の一人として参加した。
自分の提案が不開示になった側でもある。したがって以下には、公表資料から書ける部分と、私の手元の記録からしか書けない部分が混じる。混じったまま書くと、どこまでが検証可能なのかが読者に分からなくなる。そのつど分ける。

もう一つ。私は現在の訴訟の原告ではない。原告は旧香川県立体育館再生委員会である。私が作った団体とは別の団体である。
私が書けるのは、対立が表面化する前の10年間で、その多くは、この建物の行く末に関心を持つ人たちのあいだで議論が進んでいた時期にあたる。

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団体の名前がややこしいので、もう一度、先に整理しておく。三つ出てくる。

「香川県立体育館保存の会」2014年7月に私が立ち上げた任意団体である。

「一般社団法人 船の体育館再生の会」2018年10月に、上の会を改組したものである。ワールド・モニュメント財団、危機に瀕する文化遺産を選定して支援する国際的な民間団体だが、そのウォッチリストに登録されたことを機に法人格を取った。2023年2月に県の解体方針への声明を出したのは、この名義である。いまも続いている。

「旧香川県立体育館再生委員会」2025年に発足した別の団体で、いま訴訟の原告になっているのはここである。

一つ目と二つ目は同じ団体の改称、三つ目は別の団体である。ここを取り違えると、このあと書くことの意味が分からなくなる。

このうち、二つ目の法人化には、あとから別の意味が出た。

法人になったのは、国外の財団がこの建物に関心を示したことがきっかけである。国内の制度の側から、法人になれと言われたわけではない。当時の私も、これで何かの手続きに参加できるようになる、とは考えていなかった。

2021年のサウンディング型市場調査の参加要件は、保存・活用事業の実施主体となる意向がある法人及び法人グループ並びに任意団体、である。任意団体でも参加はできる。ただ、私たちの提案は、SPC、特別目的会社を設立して改修と運営を一貫して担う形を前提にしていた。SPCの設立や契約の当事者になることを考えれば、任意団体のままでは同じ形の提案は組みにくい。

三年前に別の理由で取っていた法人格が、このとき、提案を組み立てるうえで効いたことになる。もし2018年に法人化していなければ、2021年の提案は、同じ形で出しても弱いものになっていた。。

第1部の最後に書いた通りである。隣に立つには資格が要る。そして私の場合、その資格はたまたま先に整っていた。狙って準備したわけではない。

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手続きの事実から始める。ここは県の実施要領に書いてある。

提案参加の申込期間は2021年7月27日から9月30日まで。
提案書の提出は8月2日から10月21日まで。
面談は8月9日から10月29日まで、1事業者につき1時間程度、参加は1グループ5名以内。
調査結果の公表は同年12月の予定とされていた。

参加できるのは、保存・活用事業の実施主体となる意向がある法人、法人グループ、任意団体である。

利用用途は自由に設定してよい。例としてアートミュージアム、観光宿泊施設、工芸品ショップ、企業のヘッドオフィスが挙げられている。土地・建物の権利関係は、売却、譲渡、賃貸借、使用貸借など柔軟に対応するとされている。

そして条件がある。施設の改修、運営にかかる費用は、原則として事業者の負担である。

求められた提案の内容は二つ。一つは施設の利活用の可能性。もう一つは、利活用にふさわしい具体的な耐震補強・改修の考え方である。
ここには、平成25年度耐震改修設計の改善点と代替案の提示を含む、と明記されている。造形性・空間・構造的特性を踏まえた改修案、安全確保のための構法と経費の提示も求められている。共通項目として、事業主体、投資資金回収の方法、県に期待する支援・条件整備。

以上が、県が求めたものである。

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では、県が渡したものは何か。

一枚物の折り畳み印刷物である。物としてはリーフレットと呼ぶのが正確だが、県は一貫してパンフレットと呼んでいる。ここでは県の呼称に従う。

その中身は、第2部で書いた通りである。代々木競技場と同時並行で設計が進められた双子の建築という位置づけ。
戦後モダニズム建築の聖地「Kagawa」、という見出しのもとに並べられた県内の名建築。猪熊弦一郎、剣持勇、流政之、イサム・ノグチ、ジョージ・ナカシマ。地中美術館、豊島美術館、瀬戸内国際芸術祭。そして高松の観光的な紹介。英語版も作られた。

美しい印刷物である。この建物の価値を正確に理解した人が作っている。第2部で書いたように、県が文化を分かっていなかったという批判は、この一冊で否定される。

ただし、事業の判断に必要な数字が一つも載っていない。

近隣商圏の経済データがない。宿泊単価がない。テナント賃料の相場がない。想定稼働率がない。周辺の来街者数もない。十数億円規模の自己負担で用途変更をするかどうかを判断する事業者が、最初に見る数字が、一つも入っていない。

県が求めたのは、投資判断と技術提案だった。県が渡したのは、文化的価値の説明だった。

噛み合っていない。

ここが、この件でもっとも書きにくい部分である。書きにくいのは、誰も悪くないからである。県は嘘をついていないし、手を抜いてもいない。むしろ丁寧に作られている。パンフレットという呼び名と中身は、完全に一致している。この建物の価値を知ってもらうための冊子として作れば、あれ以上のものにはならない。

食い違っているのは、募集の目的とだけである。作るものの種類を取り違えている。そしてその取り違えは、価値を伝えたいという善意から出ている。

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そこに日付が乗る。

このサウンディング型市場調査は、突然始まった印象があった。2014年からこの建物を追いかけてきた私にとっても、そうだった。

実施要領は、申込の受付が始まった2021年7月27日から県のホームページに掲載された。申込の締切は9月30日、提案書の提出締切は10月21日である。申込期間は2か月余り、提案書の締切までは3か月に満たない。

そして、建物の価値を伝えるパンフレットが公になったのは、募集が始まって5週間あまりが過ぎた9月3日である。県はサウンディング型市場調査のページをすでに削除しており、公のデータは残っていない。当時、船の体育館再生の会のFacebookページに、この調査の情報を広めるための記事を随時投稿しており、その日付から追った。事後の回想ではなく同時期の記録だが、県の一次資料ではない。ここは私の記録である、と断っておく。

建物の価値を伝える資料は、本来なら募集の前に配られ、事業者がこの建物に関心を持つきっかけになるものだろう。それが、申込期間の6割近くが過ぎてから届いた。順序が逆になっている。検討を始めるための資料が、申込みの検討に使える時間の半分以上が過ぎてから出てきたことになる。

ここで、建築の話をいったん離れる。

参加を申し込むというのは、この事業に手を挙げると会社として決めることである。担当者の一存では出せない。

十数億円の投資に手を挙げる会社なら、案件を知り、現地を見て、事業性を検討し、概算を取り、稟議(りんぎ)を上げ、決裁を得る必要がある。オーナー企業でもない限り、これを2か月余りで終えるのは容易ではない。

そして、ここには順序の矛盾がある。決裁するには、何にいくらかかるかの見当が要る。その見当を立てるための設計図書は、申込をしたあとでなければ貸与されない。図面を見るには申し込まなければならず、申し込むには決裁が要り、決裁にはその図面から立てた見当が要る。

この輪を2か月余りで回せる組織は限られる。

つまり県のもとに集まりやすかったのは、組織的な意思決定を経た提案ではなく、個人か、ごく小さな組織か、あるいは資金が潤沢で決裁の早いオーナー企業が出せる範囲の提案だったことになる。

そして県は、その提案を見て、民間事業者が県の財政支援などを受けることなく単独で持続的な運営を行うことは難しいと認識した、と述べた。

組織的な検討ができない期間を設定して、組織的な裏づけがないことを理由に退けた、という筋になる。手を挙げられる者が限られていたことと、民間による活用の可能性がなかったことは、同じではない。

この段落は、金額の妥当性にも建築の価値にも踏み込んでいない。手続きの整合だけの話である。

なお、実施要領の第8項第3号には、追加対話への協力という項目がある。サウンディング終了後も、必要に応じて追加の対話や文書照会、アンケート等を実施する場合があるので協力をお願いする、という趣旨である。期間の後に詰める余地は、制度としては用意されていた。しかしながら、私の知る範囲で実行された記録はない。

6

私たちが出した提案の中身を書いておく。

短い期間が何を規定したかを示すには、中身を出すしかない。

提案書は16枚。ほかに改修の図面集と、81枚におよぶ概算見積表を添えた。表題は「船の体育館 再生計画」である。2023年に県が解体方針を決めたあと、私はこれをこのサイトで公開した。BUNGA NETがそれを記事にしている。だからここに書くことは、すでに公になっている。

用途はエクストリームスポーツパークとした。スケートボードとスポーツクライミングができる施設である。

そして、既存の吊り屋根を撤去し、アリーナを屋外空間とする案である。

念のためもう一度書く。
保存を求めていた側が、屋根を外す提案を出した。

外したうえで、新設のケーブルを既存と同じように田の字に張る。外観も内観も、県民の記憶に残っているあの印象を継承したまま、屋外の施設として使う。縁梁(ふちばり)、屋根の外周をぐるりと囲む太く背の高い梁だが、そこには約10メートルピッチで幅300ミリの壁柱を取り付け、庇(ひさし)状の屋根でつないで、縁梁の補強とバランス取りを行う。

1階はエントランスホールを利用したカフェ、レストラン、ショップ、ギャラリー。ギャラリーには丹下健三コーナーを置く。剣持勇のオリジナル家具を活用する。

2階は器具庫をリノベーションしたスポーツジム、トレーニングルーム、キッズルーム、託児所、医務室、レンタル事業の倉庫。

屋上、つまり旧アリーナがスケートボードパークで、両側面がクライミングウォール。売店を4か所、観客席は各384席。
エレベーターを2台新設する。9人乗りで、既存躯体(くたい)を極力壊さない大きさである。既存のリフトは流用する。
外壁は20年ほど前の塗装で茶褐色になっているので、打ち放し調に補修し、中性化を抑制する工事も行う。

敷地の東南部は芝生広場と庭園として整備する。

これは初めて公にするが、私たちの提案には、一般社団法人リノベーション協議会の会長で、不動産再生のコンサルティング会社であるu.company株式会社の代表、内山博文氏が参画していた。

内山氏は、リノベーションという言葉がまだ一般に知られていなかった2000年代に、古い社宅や賃貸マンション、ビルを一棟ごと買い取って改修し、住まいやホテルとして再び使えるようにする事業を、株式会社リビタの代表として立ち上げた人である。2009年には業界団体を発起人として設立し、のちに会長として、リノベーションの品質基準づくりと普及を牽引してきた。2021年からは、つくば市と地元企業が出資するまちづくり会社の代表として、公共空間や公共施設の運営にも携わっている。

サウンディング型市場調査は、行政と民間が対話するための仕組みである。その仕組みのなかで、行政の側の事情も、民間が事業として成り立たせるための条件も分かったうえで、両者をつなぐことのできる人は多くない。私は当時、その役を担う人として、内山氏が実績から適任であると思っていた。

そして私たちは、用途を描いただけではなかった。県が話に乗ってくれれば運営したいという母体やテナントを、用途ごとに実際に探し、交渉も行っていた。そのことはプレゼンテーションの場で県にも伝えている。

スケートボードパークについては、スポーツ施設の運営も手がける全国展開のスポーツ用品販売会社に、スポーツジムについては、社員の福利厚生施設としてジムを検討していた地元企業に、それぞれ活用の可能性を検討してもらい、関心を示してもらっていた。

どちらも、運営を決めていたわけではない。候補として話をしていた段階である。社名はここには書かない。それでも、こういう会社があるはずだと想像して描いた案ではなく、相手のいる話として用途を組み立てていた、ということは書いておきたい。

7

金額を書く。その前に、以前の私の説明を一つ直しておく。

私はこれまで、分かりやすくフルスペックで改修すると20億円になる、という言い方をしたこともあった。この説明だけでは不正確である。段階施工が前提であり、金額は三期に分かれている。

プランAは、県が解体工事に予定していた予算を改修費に充てる案である。

1期工事が13.4億円。内訳は屋根撤去3.0億円、耐震化4.7億円、パーク化0.8億円、設備1.7億円、共通費2.0億円、消費税1.2億円。2期工事が外壁改修の1.5億円。3期工事以降が6.7億円で、エレベーター0.5億円、屋根ケーブル0.8億円、クライミング0.5億円、設備入れ替え3.3億円、共通費1.0億円、消費税0.6億円。合計21.6億円である。想定した解体工事費は7億円で、屋根2.0億円、躯体3.0億円、基礎・杭2.0億円としていた。解体費については、3か月足らずという限られた時間で提案書を作らねばならず、現場監督をしていた経験からの概算である。1期工事の13.4億円とこの解体費7億円との差額、6.4億円は、後で書くSPCが投資家から集める資金で賄う計画だった。

プランBは、耐震費と営業が始められる最低限の改修費を県から借り受けて、賃貸収益で完済する案である。その額が1期工事の13.4億円で、30年で割ると年0.45億円。賃貸収益は年0.7億円を見込み、差額の0.25億円を施設運営費と積立に充てる。次期工事の費用が工面できるまで積み上がった段階で、段階的に工事を行う計画である。

坪単価に直す。延床1424坪で計算すると、1期の13.4億円が坪あたり約94万円、三期合計の21.6億円が坪あたり約152万円になる。第2部で書いた通り、県自身の改修費試算は税込18億210万8000円で坪あたり約127万円、解体の契約額は8億4700万円で坪あたり約60万円である。

つまり、事業を始めるための初期投資は坪94万円だった。県の改修試算より安く、解体費の1.6倍である。

1坪あたり約94万円。これは、当時の公共建築の改修工事費として見れば、特別に高い数字ではない。

賃貸収益の内訳も書いておく。年6888万円、30年の累計で20億6640万円である。カフェが月30万円、レストランが月40万円、販売が月40万円、スポーツジムが月40万円、レンタルが月20万円、イベント部門が月120万円、売店が4店舗で月24万円、自販機6台で月10万円。そしてネーミングライツが年3000万円。県民ホールを参考に同額の年3000万円に設定した。

賃料の坪単価は、四国のショッピングモールの平均を下回る水準に設定した。徳島8059円、愛媛7690円、高知12944円という数字を並べて、それより低く置いている。香川はデータがなかった。

弱点も書いておく。ネーミングライツの年3000万円が収益の4割強を占めている。ここがもっとも検証されやすい部分である。当時からそう思っていたし、いまもそう思う。

事業スキームはSPC、特別目的会社を設立して改修と運営を一貫して行う形とした。投資信託と不動産業をSPC内に置き、投資家から資金を集める。そして、ふるさと納税の返礼品を組み込んだ。寄付者の名前を金属板にレーザーカットして建物に取り付ける。不要になるアリーナのフローリングや打ち放しコンクリートの一部。剣持勇デザインで天童木工製作の置き家具、桜製作所製の作り付け家具、コトブキ製作のFRP製観客席、これは設計上400席ほど不要になる。丹下事務所デザインの建具、アリーナと観客席を隔てていた約140メートルの木製の手すり、手書きレタリングの室名札、50年間使われていた立て看板。県民が、船の体育館に触れた記憶がある物をひとつでも多く、還元し残したかった。

返礼品アイデア

8

なぜ屋根を外したのか。

技術的な裏づけが取れなかったからである。

三度の入札不調のあと、私は当初、既存の屋根を補強する形で改修できないかを、建築構造の専門家に協力してもらって検討していた。ただ、屋根には不確定な要素が多い。そこで並行して、既存の屋根をいったん取り外して工事ができるのかどうかも検討した。こちらについて得られた見解は、屋根がなくても直ちに建物が崩壊することはなく、屋根なしの状態で改修工事が行えそうだ、というものだった。ただし実現性についてはモデル化と構造解析が必要である、という条件つきである。提案書にもそう書いた。

つまり、私が2021年に裏づけを持って言えたのは、そこまでだった。屋根を残したまま成立する案を書くだけの根拠を、私は持っていなかった。裏づけのない主張はしない。それが屋根を外した理由である。諦めたのではない。

2025年に再生委員会が示した案は、屋根を残している。おそらく構造の専門家の協力を得て技術的な裏づけが取れたのだろう、というのが私の推察である。直接聞いた話ではないので、推察と明示しておく。

その間に4年が経っている。

DOCOMOMO Japan、モダン・ムーブメントに関わる建物と環境形成の記録調査および保存のための組織の日本支部だが、その2025年8月25日の要望書は、具体的な再生提案までには2年から5年を要すると考えている、という趣旨を書いている。

実際にかかった4年は、その範囲にきれいに収まっている。

ここに、3か月という数字の意味が出る。

県が用意した窓は3か月だった。屋根を残した再生案が、実際に公に示されるまでには4年かかった。この窓に出せるのは、その時点で裏づけの取れている範囲までである。だから2021年には、屋根を外す案になった。

誤解のないように書いておくと、県はこの案を技術的に評価して落としたのではない。県が示した理由は財政面である。民間事業者が県の財政支援などを受けることなく単独で持続的な運営を行うことは難しいと認識した、というものだった。屋根の扱いも、改修の方法も、退けた理由としては挙げられていない。

つまり、3か月という期間が決めたのは、提案が通るかどうかではない。県のもとに集まる提案の幅のほうである。

同じ建物について、同じ側から、屋根を残す案が実際に出てきたのは4年後だった。窓に入るのは、そのときすでに手元にある裏づけだけである。窓の外で育ちつつあるものは、間に合わない。県が2021年に見ることのできた選択肢は、その分だけ狭かった。

そして、その狭い選択肢を見たうえで、県は、民間が単独で持続的に運営することは難しいと認識した。判断の材料の幅を期間が決め、その材料をもとに判断が下された、という順序になる。

案が悪かったのでも、提案者の力が足りなかったのでもない。この期間で集められるものには限りがある、というだけの話である。ここは、私が当事者だから書けることであり、当事者でなければ気づきようのないことでもある。

9

3か月足らずで、なぜあれだけの資料を作れたのか。

それは能力の話ではない。

県が渡したのは、申込のあとに貸与される平成25年度の設計図書のデータ、建物の概要、位置図、建築的特徴の記述である。設計図書は目的外使用を禁じられ、使用後は返却する条件がついている。

そこから改修案と図面集と81枚の概算見積表を、提案書の締切までに作るのは、通常は不可能である。私にできたのは、条件が三つそろっていたからだ。

一つ目は、2014年からの7年分の蓄積である。事前に情報公開請求で手に入れていた図面を読み込み、現地を歩き、何が問題で何が問題でないかを繰り返し確かめてきた時間が、そのまま資料になった。

二つ目は、点群データである。

2016年4月22日、この建物の三次元スキャンを行った。日本建築学会と合同で原爆ドームや厳島神社の三次元計測をした実績のある会社に協力してもらっている。この建物は三次元の曲面でできていて、通常の図面からは形が把握しきれない。まず形を測り形状を知る必要があった。

三次元スキャンの様子/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

このとき、アリーナの内部はスキャンできていない。建物を管理する香川県教育委員会保健体育課の許可が下りなかったからである。理由は安全面の懸念だった。こちらの調査員は一級建築士などの資格を持っており、スキャンをすれば天井面の落下の危険がある位置の特定を含めて、建物がどれほど傷んでいるかがデータから分かるかもしれなかった。だから許可がほしかった。事故が起きても香川県には一切の責任がないとする誓約書も用意したが、それでも許可は下りなかった。

安全を理由に、安全性が確かめられたかもしれない調査が断られた、という形になる。

そして2026年のいま、県は裁判所の要請を受けて現地の証拠保全を受け入れ、記録保存事業では三次元測量を行うとしている。同じ建物の、同じ種類の調査である。十年の差がある。

三つ目は、道具である。

三次元スキャンで得られる点群は現状の記録であって、それだけでは検討ができない。点群から設計の検討ができるデータに変換するには、それができるソフトが要る。それがどれなのかが、私には長いあいだ分からなかった。答えがRhinoceros(ライノセラス)だと分かったのは、2019年の末である。アトリエ系の設計事務所でも使い始める人が出てきたのを見て、これなら扱えると確信し、この案件を作りながら覚えた。

Rhinoceros作業画面

つまり、2016年に測ったデータを、私は4年間使えていない。道具がどれか分からなかったからである。地方の個人事務所が前例のない対象に取り組むとき、何が要るかは自分で探すしかない。教えてくれる相手も、参照できる事例もない。

この建物を立体として把握し、立体として再生を検討できるようになったのは、2020年の初めからである。それ以前は、二次元の検討しかできなかった。

そして四つ目を加えるなら、構造家の監修である。私はサウンディング型市場調査とは関係なく、ずいぶん前から構造家に監修を依頼して検討を続けていた。屋根を外した状態についての見解も、そこから出ている。

構造検討の概要一例

言い換えると、この募集に応じられたのは、すでにこの建物を長く調べていた者だけである。県の資料だけを見て参加を検討した事業者は、期間内に事業計画まで到達できない。

9事業者から10提案が出て、事業計画書が付いていたのは2件だった。手元に蓄積を持っていた者が二者いた、ということかもしれない。これは推測である。

いずれにせよ、この募集の設計そのものが、事実上の参加資格を作っていたことになる。公募でありながら、応じられるのは事前に準備していた者だけだった。

県が意図したことではない。3か月という期間と、渡された資料の内容が、結果としてそう機能した。

そして、私にとっては最良に近い条件だったのかもしれない。7年分の蓄積があり、点群があり、それを扱える道具を覚えたところで、構造家の監修が続いていて、内山氏と組めていて、用途ごとの運営の候補とも話ができていた。それでも成立しなかった。だから期間と資料の話が意味を持つ。準備が足りなかったから通らなかった、という説明は、この件については成り立たない。

同じ光を、県の側にも当てておく。

2013年度の耐震改修設計は、いま書いた道具が一般に使われるようになる前のものである。県が記録した入札不調の理由、吊り屋根の劣化した部分が目視以外では不明確でリスク管理のための工事費が割高になる、屋根の下地状況が不明で下地処理が難しい、というのは、形状と現状を把握しきれないことの帰結でもある。

私が2016年に点群を取ろうとしたのは、まさにそこに答えを出すためでもあった。そして私自身、そのデータを使えるようになるまで4年かかった。

誰の能力の問題でもない。その時点で使えた道具の問題だった、というところまでは書けると思う。

10

県の総括を見ておく。二つある。

一つ目は、調査結果の公表である。実施要領では2021年12月の予定とされていたが、公表は翌2022年1月17日になった。この日の報道によれば、県教育委員会は、2021年8月から10月までに9つの事業者から10の提案があったこと、利活用の方法としてスケートボードパークや演劇・アートといった文化の拠点施設などさまざまな用途が提案されたことを示している。

そして総括はこうである。県教育委員会は施設の改修や運営の費用について原則として事業者の負担を求めているが、全ての提案が、県の財政負担を想定しているか、資金回収計画の具体的な記載がないものだった、と。

同じ日、教育長は、なかなか厳しい調査結果だというのが率直な感想である、これも踏まえて建物をどうするかについて検討を深めていければ、と述べている。そして県教育委員会は、新しい県立体育館が完成する2024年度までに、保存活用するか解体するかの結論を出したいとしていた。

まず日付を一つ置いておく。2022年1月の時点で示されていた期限は2024年度である。実際に解体の方針が決まったのは2023年2月だった。1年以上早い。

そして、総括の立て方を見てほしい。提案は二つに分けられている。県の財政負担を想定しているものと、資金回収計画の具体的な記載がないものである。全ての提案がこのどちらかだった、というのが県の説明である。

私たちの提案は、この二分法にそのまま収まるものではない。

プランAは、県が解体に支出する予定だった予算を改修に充て、1期工事との差額をSPCが投資家から集める案である。県の支出の総額は、解体した場合と変わらない。
プランBは13.4億円を借り受けて30年で完済する案で、賃貸収益の内訳を年6888万円まで積み、81枚の概算見積表を添えている。資金回収計画がないのではなく、資金回収計画そのものが提案の中身だった。

もちろん、解体の予算を改修に回すことも、県から見れば財政負担だと言うことはできる。返済される貸付も、財政支援の一つではある。だから問うべきなのは、県の言う財政負担が、予算の付け替えや返済される貸付まで含むのか、それとも新たな負担だけを指すのか、ということである。
県の総括は、その区別を示していない。全ての提案が、という言い方に含まれ、個別にどう評価されたのかも示されていない。

この公表のあとの2022年のことも、書いておく。

提案は、対話のないまま一方的に退けられた形になった。私はそれでも県と向き合うつもりでいたが、提案のために組んだチームは解散した。

責める気持ちはない。当時はコロナ禍のさなかで、いつ落ち着くのかさえ見通せず、企業の投資判断そのものが大きく制約されていた時期でもあった。県との対話の見込みもないまま、先の見えない案件に人と資金を留めておく理由は、組んでいた事業者の側にはない。仕方がなかったと思う。

それでも、この2022年に、私はもっと動けたのではないか。いまもその後悔はある。JIA四国支部香川地域会、東海大学 田中正史研究室と組んで展覧会を2度開催したが、周知活動だけでなく、サウンディング時のチームがなくなっても、県に対話を求め、新たに事業の母体となる協力者を見つける動きを続けることはできたかもしれない。1年後に解体の方針が決まったことを思うと、事業として前に進める側が止まったまま一年が過ぎたことは、ほかの誰の事情でもなく、私の側に残っている。

せとうちの瀬戸際けんちく船の体育館展/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

県の総括に話を戻す。
二つ目は、調査結果の公表から1年後の説明である。2023年2月9日付の県民の声への回答で、県はこう述べている。サウンディング型市場調査では、旧県立体育館が丹下健三の設計によるもので、我が国最初期の吊り屋根構造の建築であること、吊り屋根構造と一体化したダイナミックなアリーナ空間、巨大な縁梁とそれを支える大柱から構成される彫刻的なコンクリートの造形といった建築的な特徴を説明したうえで、英語版のパンフレットも作成して、民間事業者から利活用の方法などについて広く提案を求めた。この調査では民間事業者ならではのさまざまな提案があった一方、資金の面では、民間事業者が県の財政支援などを受けることなく単独で持続的な運営を行うことは難しいと認識した、と。

ここでも同じ区別が示されていない。財政支援などを受けることなく、という条件に予算の付け替えまで含めるなら、プランAもプランBも当たる。新たな支出だけを指すなら、県の支出の総額を増やさないプランAは当たらない。どちらの意味だったのかは分からないまま、二つの案は同じ一文で退けられた。

この指摘は私の思いつきではない。BUNGA NETの宮沢洋氏が2023年2月の記事で同じことを書いている。解体工事費は県が出す予定なのに、その分を改修費に充てて事業を始めるのはなぜだめなのか。事業性が甘いというなら理由を具体的に回答すべきではないか。こういう提案は県のサイトで公表すべきではないか、と。

同じ記事で氏は、前年に書いた記事では県のサウンディングをアリバイ的なもので活用は現実的に無理だろうと半ば諦めて書いた、今回の案を見て活用策の面白さとスキームのリアリティに驚いた、勝手に無理だろうと思ってしまった反省を込めて掲載する、とも書いている。屋根を取ってケーブルだけにすることで空間の三次元性がより強調されて見える、という評価も書いている。

第三者の反応として、これは記録に残しておく価値があると思っている。提案は、見た人には伝わった。評価する回路がなかっただけである。

11

私は長いあいだ自分の提案の内容について、これでも足りなかったのだ、と思ってきた。

いまはそう思っていない。

県の総括は、全ての提案が県の財政負担を想定しているか資金回収計画の具体的な記載がないものだった、というものであり、1年後の回答は、財政支援を受けずに単独で持続的な運営を行うことは難しいと認識した、というものである。どちらも、どこまで用意すれば十分だったのかを示していない。何を出せば通ったのかが分からないまま、出したものが通らなかった。

何を満たせば十分だったのか、外部から確認できる基準が示されていなかった。

そして基準が示されていないことは、第1部に書いた記録の不在と一つのことである。判定の基準が文書になっていなければ、その基準に照らして判断した記録も残らない。

いまでも、あの提案には現実性がなかった、と言われることがある。だが先に問うべきなのは、県の判断が正しかったかどうかではなく、提案が事業として成り立つかどうかを、どこまで確かめたのか、のほうだと私は思っている。

提案を評価することと、民間による活用の可能性を対話によって確かめることは、同じではない。私たちの側から見えている範囲では、プレゼンテーションのあと、県からの追加の問い合わせも面談もなかった。第5節で書いた通り、実施要領には追加の対話の項目があったが、私の知る範囲で使われた記録はない。県が評価をしたこと自体は否定できない。だが、その評価がどう行われたのかを外から確かめる方法がないことは、このあと書く。

もう一つ、県の説明には前提が含まれている。民間事業者が「単独」で持続的な運営を行うことは難しい、という一文は、一社が建物の取得から改修、資金の調達、運営までを全部背負う形を前提にしているように読める。

その形だけを考えれば、ハードルが高いのは当然である。だが、規模の大きな既存建築の再生は、実際にはそういう形で組まれないことが多い。全体の事業の枠組みを組み立てる主体がいて、そこに用途ごとの運営者が入り、行政が関わり、場合によっては金融や不動産の主体が加わる。私たちの提案も、不動産再生の専門家が全体を組み、用途ごとに運営の候補を探す形だった。

2025年に再生委員会が示した案も、一社の計画ではない。香川県高松市発祥で、展示・商業空間の大手企業である乃村工藝社、既存建築を再生するリファイニング建築で知られる青木茂建築工房の青木茂氏、宿泊施設の企画・運営を担う会社Stapleなどが、それぞれの役割で名を連ねている。

一社では運営できない、ということと、民間による活用ができない、ということのあいだには、一段の飛躍がある。
2021年に本当に探す必要があったのは、建物全体を一社で引き受ける会社ではなく、民間と公共の組み合わせでこの建物を再生するなら、どういう枠組みが成り立つのかを一緒に組み立てられる相手だったのではないか。そして、それを探るための手続きが、本来のサウンディング型市場調査のはずである。国土交通省の『地方公共団体のサウンディング型市場調査の手引き』も、この調査の目的として、市場性や実現可能性の把握、民間事業者が参入しやすい公募条件の把握などを挙げている。

12

海外からの建築家視察団の案内/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

この時期に外側でやっていたことも書いておく。当事者の記録として残しておかないと、後から誰にも辿れなくなる。

ワールド・モニュメント財団、危機に瀕する文化遺産を選定して支援する国際的な民間団体だが、そのウォッチリストへの推薦は、私たちが独自に行ったものである。選定後も県は関与しないという対応だった。2018年のリストに掲載され、第2部で書いたように、2021年にDOCOMOMOの国際本部が署名を呼びかけた際にもそのことが引かれている。国際的な関心の経路の少なくとも一つは、県ではなく、こちら側が作った。

海外の大学も、この建物を見に来ている。マサチューセッツ工科大学とチューリッヒ工科大学である。どちらも報道はない。県がメディアに伝えた形跡もなく、その後、県と接続された形跡も見えない。

ハーバード大学の研究者も来県している。こちらは報じられた。ただし報じられたのは、香川県庁舎を視察したことと、知事と意見交換をしたことである。旧香川県立体育館に足を運んだことには触れられていない。

海外の研究者がこの建物を見に来ていたという事実そのものは、県内ではほとんど表に出ていない。

私たちが作った海外との関係は、ウォッチリストへの推薦と、2校の視察までである。国際的な関心の経路のうち、いくつかは県ではなくこちら側が作ったのだと思う。

ただし、その先で何がどう繋がって、どの声になったのかまでは、私には辿れない。経路は一本ではないし、私の知らないところで動いていたものもある。だから、いま出ている国際的な声を自分たちの成果として並べることはしない。

書いておきたいのは、それでも判断は動かなかったということである。国際的な組織の関心も、海外の大学の視察も、危機遺産リストへの掲載も、県の判断の枠のなかには入らなかった。
第2部で書いた通り、価値の言語は、用途の言語に翻訳されないかぎり作動しない。翻訳したものとして出したのが、サウンディング型市場調査のときに提案した「船の体育館 再生計画」だった。

13

私たちは、意見を聞いてもらう場だと理解して出した。しかし県の内部では、実はそういう位置づけではなかった。

これは見立てではない。県自身の文書に書いてある。

第1部で書いたある記者が行った、情報公開請求で開示された文書のなかに、2021年10月18日付、保健体育課作成の「旧県立体育館のサウンディング調査(アドバイザー)」がある。その主旨として、サウンディング調査の提案を受け、「事業者選定段階」に進める可能性をもった提案があるかどうかを、見極める際のアドバイスを専門家から受けるもの、と明記されている。

見極める、である。

日付は10月18日。提案書の提出締切の3日前にあたる。

参加者に示されていた建て付けは、そうではない。実施要領の表題は市場調査であり、参加実績は今後の事業者公募における評価の対象とはならない、とも書かれている。意見を聞く場だと読むのが自然である。

同じ手続きが、外に向けては意見聴取として示され、内では次の段階に進める可能性があるかどうかの見極めとして扱われていた。

私は以前、サウンディング型市場調査に失格した、という言葉で表現したことがあるが、それは言い過ぎである。失格という語は文書にない。取り消しておく。

だが、意味としては「関門」である。市場調査でありながら、次の段階へ進めるかどうかの判定として運用されていたことが、県自身の文書に書かれている。

サウンディングと事業者の選定は、本来は別の手続きである。サウンディングは、この事業が民間から見て成り立つか、成り立たせるにはどんな条件が要るかを、対話によって探るものである。行政の側の条件そのものが変わりうるし、提案者に優劣をつけることは目的ではない。公募型プロポーザルのような事業者の選定は、条件を定めたうえで、誰がどう実現するかを競わせて選ぶものである。

この件では、市場調査として募った提案が、選定に近い使われ方をしていた。選定として扱うのであれば、誰が、どの専門性で、どの基準で評価したのかを示すことが、市場調査のとき以上に求められる。その記録がどうなっていたかを、次に書く。

14

そして、その判定の中心にある面談の記録が、存在しない。

2023年、前節の記者がこの件の行政文書の公開を請求した。請求内容は、令和3年度に行ったサウンディング型市場調査の提案内容、提案者との面談の記録、調査結果についての庁内での検討過程が分かる文書、そして解体の方針を決定するに至るまでの庁内での協議内容が分かる文書である。

県教育委員会は16件を特定し、7件を公開、5件を一部公開、4件を非公開とした。

非公開とされた4件のうち、2番目が「提案者との面談の記録」である。ここだけ理由が違う。非公開ではなく「不存在」である。県では請求に係る行政文書を作成および取得しておらず、当該文書が存在しないため、と書かれている。

1事業者につき1時間程度、複数の提案者と行われた面談の記録が、作られていない。私たちの提出書類の構成メンバーの欄には、社名だけを書き、個人名までは書いていない。誰がどの役割で加わっているのかは、内山氏の参画を含めて、面談の場で口頭で説明した。交渉中だった運営の候補のことも同じである。そのどれもが、県の記録としては残っていないことになる。

同じ弁明書のなかで、県はこう述べている。この調査を経て、その後、結果として解体の方針を固めることとなった、と。

二つを並べる。解体方針に至る過程にサウンディングがあり、そのサウンディングの中心であるはずの面談には記録がない。

これは推測ではない。県の公式文書から直接出る。

もう一つ、時間の側から見ておく。サウンディング型市場調査が行われたのは2021年で、解体の方針が決まったのは2023年2月である。そのあいだの2022年9月に、知事が交代している。調査を始めた県の長と、方針を決めた県の長は、別の人である。

替わるのは知事だけではない。役所の担当者は、数年ごとの異動で入れ替わっていく。この建物に関わってきた役人たちも、閉館からの12年のあいだに、ほとんどが入れ替わっている。

人が替わったとき、次の人に引き継がれるのは記録である。面談で口頭で伝えたことは、記録がなければ、その場にいた人の記憶にしか残らない。方針を決める際に、サウンディング型市場調査で何が示され、どこまで届いていたのか、私には分からない。分かるのは、面談の内容については、届けるための記録が作られていなかった、ということだけである。

では、公開された資料には何があったのか。

全面公開7件の内訳は、サウンディング型市場調査結果の概要、サウンディング型市場調査連絡会の第2回、県有財産の利用希望について、そして知事記者会見録が4本である。一部公開とされた5件のうち3件も、教育長記者会見録だった。

情報公開請求されたのは、庁内での検討過程が分かる文書と、解体の方針を決定するに至るまでの庁内での協議内容が分かる文書である。それに対して特定された16件のうち、全面公開の7件のうち4件と、一部公開の5件のうち3件、計7件が記者会見録だった。公開または一部公開された12件のうち7件、6割近くが記者会見録である。。

庁内でどう議論したかを示す文書として県が出せたものの多くが、記者に向かって話した内容の記録だった、ということになる。

会議録を作る義務が課されていない打ち合わせは、どの役所にも大量にある。作らないことが違法なのでもない。だが、後戻りのできない処分の判断について、外部から検証できる材料が記者会見録であるというのは、制度として明らかに薄い。

15

アドバイザーの意見書も開示されている。ほぼ全面が黒塗りである。

残っているのは構成だけである。

1、○○の改修案について
 1・1、評価する点(以下黒塗り)
 1・2、課題点・確認点(以下黒塗り)
2、○○耐震改修の提案について
 2・1、○○に対して
  2・1・1、評価する点(以下黒塗り)
  2・1・2、課題・確認点(以下黒塗り)

以下同様である。○○の部分はすべて黒塗りで、提案者の名も、案の名も分からない。評価も課題も確認も項目だけで、内容はすべて黒塗りである。

外部の専門家が、二つの案について、評価する点を書いた文書が存在する。しかし、その中身は見られない。

10案のうち事業計画書があったのは2案だから、この意見書はその2案についてのものである。私の提案もそこに含まれる。自分の提案について外部の専門家が何を評価したのか、私は知らない。

もう一つ、令和3年11月30日、16時から16時30分までの30分間の訪問記録がある。県側の対応者は次長と担当者の2名。内容は、事業者からの提案に関連して、事業実施の場合の償還期間、土地・建物の客観的な評価、そして今後、利活用に関する公募を行う場合の留意点など、専門的な知見を聴取した、とある。項目は三つ。いずれも中身は黒塗りである。

日付に意味がある。2021年11月30日の時点で、県は今後の公募について留意点を聴いていた。まだ公募の可能性が検討されていた。解体方針の決定は、その1年3か月後である。

同じことは実施要領にも書いてある。参加実績は、今後、予定している事業者公募等における評価の対象とはならない、という一文である。今後の事業者公募が予定されていることを前提にした書き方である。2021年7月の時点で、県はその先の段階を想定していた。

16

不開示の判断そのものを、私は批判しない。

批判しても筋が通らないからである。サウンディング型市場調査は、参加事業者のアイディアとノウハウを保護するために、個別に非公開で行うことを原則とする手続きである。実施要領にそう書いてある。結果の公表は概要にとどめ、公表にあたっては事前に参加事業者へ内容の確認を行う、とも書いてある。

条例第7条の各号に照らした判断であり、実施要領の建て付けとも整合している。

なお、私は長らく、提案の中身を口外してはならないと縛られていると理解していた。これは読み違いだった。
実施要領にあるのは、県が渡した平成25年5月作成の設計図書のデータについて、当該事業以外の目的外使用を禁止し、使用後は速やかに返却するという条項だけである。提案そのものの著作や口外を縛る規定はない。参加事業者の名称を公表しないというのは、県が公表する側の手続きである。

だから2023年に、私は自分の提案を公開できた。ただ、実務上の動きにくさは残っていた。改修案は県から渡された設計図書を前提に作られている。中身を詳しく公表すれば目的外使用に触れかねない。規則としての禁止ではなく、動きにくさが実際にあった。

その動きにくさは、いまも続いている。卒業制作に使いたいので図面のデータを提供してほしい、という問い合わせが、いまでも全国の学生からメールやSNSのメッセージで届く。手元にあるものは県から渡された設計図書に手を加えたものなので、そのたびに断っている。この建物を学びたいという人がいて、その材料を渡せない。

書けるのは、県が隠したという話ではない。この手続きは、最初から検証されない構造になっている、という話である。

もう一つ、記録の残り方について書いておく。

県は、サウンディング型市場調査のページを削除している。2021年に県自身がこの建物の価値を説明し、活用の提案を募った記録は、いま公にはたどれない。私がパンフレットの公開日を自分のSNS投稿の日付から追わなければならなかったのは、そのためである。

解体を進める側から見れば、終了した事業のページを整理するのは当然の運用である。

だが結果として、県が価値を認めていたことを示す最も明確な資料が、県の側から消えた。第2部で書いた通り、実施要領第1項第2号の記述は、この建物の価値についての行政文書としてはおそらく最良のものである。吊り屋根構造の系譜を並べ、日本刀の反りに触れ、和泉正敏の石組にまで及んでいる。それがいま、県のサイトには存在しない。

そして、これは行政だけの問題でもない。2021年にDOCOMOMOの国際本部が署名を呼びかけたときの詳細ページも、いまは削除されている。私の手元にあるのは記事のスクリーンショットである。第2部で本部と支部の4年の差を書いたが、その根拠の一方は、すでに一次資料としては失われかけている。

建物が壊れる前に、記録のほうが先に薄くなっていく。

第4部につづく

旧香川県立体育館に思う 第2部 価値の言語

1

BUNGA NETの連載「アーキテクトボイス50」に、依頼もされていないのに51本目として応答している文章の、2本目である。
第1部では、旧香川県立体育館(船の体育館)をめぐって、行政の隣に人はいた、それでも議題にならなかった、という話を書いた。この建物は1964年竣工、設計は丹下健三、屋根をケーブルで吊る吊り屋根(つりやね)構造である。私の立場については第1部の冒頭に書いた。

連載を通して読むと、書かれ方が概ね2つの層に分かれているのが分かる。

一方は、価値と歴史を語る層である。発起人の3人と隈研吾氏の稿は、この建物が何であるかを説明することに力を注いでいる。
丹下健三の到達点として、代々木の兄弟として、金子正則県政という特異なデザイン行政の産物として、構造家の系譜のなかの1点として。過去を見て、価値を主張する書き方である。

もう一方は、制度と関係を語る層である。乾久美子氏は、文化的価値の評価が定まらない段階で判断を留保する力を制度として実装できないかと問うた。藤村龍至氏は、設計者や施工者が日頃から行政の隣にいられないかと問うた。どちらも過去の価値ではなく、将来の仕組みを提案している。

私はこの差を、連載の批評として書きたいわけではない。上の世代が古いという文章を書きたいのではない。そう書けば分かりやすいが、それでは問題の本質を見失う。

私はこの差を足場として使う。なぜ、価値を語る書き手と、仕組みを語る書き手に分かれたのか。その理由が、この建物をめぐる問題の経緯そのものに書き込まれているように思う。

結論を先に書く。価値は、語られていた。県も理解している。国際的な組織も動いていた。それでも壊される。だから現在進行系で行政と付き合っている書き手は別の言語を探している。上の世代が古いのではない。建築の価値を語れば建築が残った時代の「型」が、終わっているのである。

2

まず、この件でもっとも誤解されている点から始める。

香川県は、この建物の価値を正確に理解している。

その証拠は、県自身が作った文書のなかにある。2021年のサウンディング型市場調査の実施要領、その第1項第2号に、建物の建築的特徴の記述がある。

我が国最初期の吊り屋根構造として位置づけ、その系譜のなかに置いている。ブリヂストン横浜工場体育館(菊竹清訓、1960年、現存せず)、西条市体育館(坂倉準三、1961年、現存せず)、市村記念体育館(坂倉準三、1963年)に次いで完成したものである、と。設計時に日本刀の反りがイメージされたこと。敷地に和泉正敏による石組があること。ここまで過不足なく正確に書いてある。

1枚物のリーフレットのほうも同様である。県はこれを一貫してパンフレットと呼んでいる。国立代々木競技場と同時並行で設計が進められた双子の建築という位置づけから始まり、戦後モダニズム建築の聖地Kagawaという見出しのもとに、瀬戸内海歴史民俗資料館、香川国際交流会館、坂出人工土地、香川県文化会館、五色台山の家、百十四銀行本店を並べている。猪熊弦一郎、剣持勇、流政之、イサム・ノグチ、ジョージ・ナカシマ、地中美術館、豊島美術館、瀬戸内国際芸術祭。英語版も作られた。

北山恒氏は2本目で、行政の文化認識の貧困という趣旨の断定を書いた。この断定は、県が作ったこの2つの文書によって否定される。藤村氏が6本目でその点を指摘したのは正確である。

県は分かっている。分かっていて、解体を決めた。

外から見ると、県が文化を分かっていないように見える。実際には分かっている人が中枢にいて、それでも解体になった。この違いを説明することが、県外から香川県を断罪している人たちに対して、県の代弁者として私が果たせる数少ない役割である。

3

2つの代表的な丹下作品が香川にはある。(丹下作品としては県営一宮団地を含め3つある)

1つ目は香川県庁舎東館。竣工は1958年、日本最初期のセンターコア形式のビルディングタイプと言われ、日本の柱梁の様式を近代建築に落とし込んだとして世界的に評価されている作品。

1997年に耐震診断で耐震性能の不足が判明した。そこから、文化的価値と庁舎機能を落とさない補強方法の検討に時間が費やされる。2012年に詳細調査と診断が実施され、複数の耐震改修工法と新築案が比較検討され、2013年度から専門家の助言と県議会での議論を経て、2014年に基礎下免震の採用が決まった。2016年から2019年にかけて約42億円をかけて工事が行われ、2020年10月に完成見学会。2022年2月9日、香川県庁舎旧本館及び東館として国の重要文化財に指定されている。

そして2つ目の旧香川県立体育館の耐震診断も2012年である。

同じ年に、同じ発注者が、同じ設計者の2つの建物の耐震性能を調べた。片方は文化的価値を保つ工法を探し42億円を投じて改修し、そして国の重要文化財になった。もう片方は耐震診断を根拠として、11年後に解体が決まった。

庁舎と体育館の扱いの落差には、連載でも9本目の山名善之氏と12本目のケン・タダシ・オオシマ氏が触れている。さかのぼれば、2023年2月、県が解体方針を決めた直後に、BUNGA NETの宮沢洋氏も近いことを書いている。県の人たちを敵視しているわけではない、香川県庁舎については免震改修して残すという判断をした人たちである、そんな人たちがこの提案を見て何もなかったようにスルーするのはさすがにどうなのか、と。3年前に、同じ媒体で、同じ対比が置かれていた。

2013年香川県は日本初となる丹下健三の回顧展「丹下健三生誕100周年プロジェクト 丹下健三伝統と創造ー瀬戸内から世界へ」を主催しており、県が丹下健三の作品の文化的価値を理解していないという批判は的を外している。では、県にとって庁舎と体育館では何が違うのか、という問いを立てる材料になる。

予想される県からの答えは分かっている。東館は現役の庁舎であり、機能を持ち続けていた。旧県立体育館は2012年に天井が落下する恐れがある事が判明し、アリーナが使用できなくなり競技施設としての機能を閉館時点で、すでに失っていた。用途がある建物と、用途を失った建物。県はそう説明するはずであり、その説明には筋が通っている。文化的価値だけで42億円は出ない。42億円が出たのは、そこが庁舎で使い続けていたからである。

ならば、用途を作るための手続きは何だったのか。

その問いが第3部の主題になる。ここでは、用途がなければ価値は判断の枠内に入らない、という1点だけを確認しておく。
価値の言語は、用途の言語に翻訳されないかぎり、行政の判断のなかで作動しない。

4

金額の数字を出しておく。総額だけ並べても意味が取れないので、坪単価に直す。

県教育委員会の資料によれば、旧香川県立体育館の延べ面積は4707.513平方メートル、約1424坪である。

県自身の改修費試算がある。令和2年度(2020年)に発注した場合として、耐震改修工事費10億9600万円、降雨対策費2億260万円、耐震改修に伴う設備改修費1億7600万円、物価上昇分1億6368万円。工事価格16億3828万円、税込18億210万8000円。県は約18億円余と記載している。坪あたり約127万円になる。

私が2021年のサウンディング型市場調査に提出した提案では、段階施工を前提に、事業を始めるための1期工事を13.4億円としていた。坪あたり約94万円である。三期までの合計は21.6億円で、坪あたり約152万円になる。三期には大幅な設備更新まで含まれる。詳しい内訳は第3部に書く。この数字は県が算定したものではない。私が81枚の概算見積表を作って積み上げたものである。

解体工事の契約額は8億4700万円である。県資料の延べ面積で割ると坪あたり約60万円、入札公告に示された解体規模の5423平方メートル、これは天井裏の倉庫や外構等を含むと思われるが、そちらで割ると坪あたり約52万円になる。どちらの面積で割ったかは明示しないと比較にならない。

2025年に再生委員会が示した案の初期投資は30億円から60億円で、坪あたり約211万円から421万円である。これは耐震補強に加えて用途変更のためのハードとソフトの整備を含み、4年分の建設物価の上昇が乗っている。前の数字と矛盾するのではなく、範囲と時点が違う。金額を並べるときは、どこまでの工事を含み、いつの物価で積んだのかを必ず添えなければ意味が取れない。
※ちなみに約60年前の建物の総工費は2億円余である、この様にいつの時点の見積もりであるのかを明示しないと比べようもない。

並べるとこうなる。始めるのに坪あたり94万円、県の試算どおり全体を耐震改修して坪あたり127万円、壊すのに坪あたり60万円。

そして、同じ設計者の2016年から2019年に行った県庁舎東館の耐震改修工事には42億円が出ている。延床面積は約3591坪なので、坪あたり約117万円である。県が旧香川県立体育館の改修に要ると試算した坪あたり127万円と、ほとんど変わらない。総額の差は、主に建物の大きさの差である。

坪単価に直すと、この建物の改修費が非現実的な数字ではないことが見える。総額で20億円と言われると大きく聞こえるが、坪130万円前後というのは、既存建築の全面改修としては標準的な水準である。田根氏が制度を語り、隈氏が価値を語ったその横で、実は数字のほうはずっと穏当だった。

5

その上で、県の説明には別の筋もある。財政である。

香川県の令和4年度(2022年)当初予算の規模は4953億円。基金残高の年度末見込額は、令和7年度(2025年)当初で財源対策用基金223億円、特定目的基金293億円、合わせて500億円台である。18億円は、この規模の中で出せない金額ではない。ただし、出せる金額であることと、出すべき金額であることは別だという反論は当然ありうる。

そこで、同じ県のもう1つの事例を置く。

県立中央病院の跡地である。2016年12月に閉会した11月定例県議会で、約16億1000万円をかけて解体する議案が可決された。2019年10月末までに更地にする計画だった。更地化後に民間へ一括売却して18億円の売却益を見込んでいたが、敷地の用途地域が近隣商業地域と第二種中高層住居専用地域に分かれているため、一括売却が頓挫する。2021年9月の県民の声への回答では、事業の実施は新たな財政負担を伴うため、財政状況も考慮しながら実施時期を含めて慎重に検討する必要がある、とされている。

県は、この跡地を解体して更地にするために約16億1000万円を支出した。そして、更地にしたあとの跡地の活用については、県自身が、新たな財政負担を伴うことを理由に慎重な検討が必要だとしており、跡地はいまも更地のままである。

香川県立中央病院 解体風景/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

旧香川県立体育館についても、県は解体後の敷地の利用は白紙であると公表している。壊すための予算は決まっていて、壊したあとに何をするかは決まっていない。

田根剛氏は一本目で5項目の制度提案を書いた。欧州との比較から入り、日本には制度がないという趣旨の書き方になっている。これは反論されうる。日本にも文化財保護法があり、登録有形文化財の制度があり、公共施設等総合管理計画がある。制度はある。

本来突くべきは、制度の不在ではなく、非対称のほうである。解体には予算がつき、保存活用には財政負担という言葉がつく。同じ県の、ほとんど同じ時期に、その非対称が2つの土地の上で起きている。制度がないのではない。既存の制度の組み合わせ方が、一方向にだけ滑らかにできている。

これは私の見立てを含む。地方債の細目まで確かめた上で書いているわけではない。だが、香川県内で実際に起きたことを2つ並べれば、問いの形は立つ。同じ県が、壊すためには約16億1000万円を支出し、活かすための予算については財政状況を理由に検討中のままにしている。この差はどこから来るのか。

6

ここから、価値の言語がどのように届かなかったかの話に入る。ここは私自身が当事者なので、先に開示しておく。

私は、DOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of Modern Movement、モダン・ムーブメントに関わる建物と環境形成の記録調査および保存のための組織)の日本支部、DOCOMOMO Japanの正規会員である。DOCOMOMO Japanは価値ある近代建築を選定する活動を続けており、毎年選ばれた建物がリストに加えられている。そして私は2015年から2023年まで、毎年9月に旧香川県立体育館の推薦文を提出していた。香川にはもう1人会員がいて、その人も同じ年に別途、推薦文を出している。毎年2通が届いていたことになる。9年連続で、9年とも、選定されていない。

DOCOMOMO Japanの選定建築物は、会員からの推薦にもとづいて選ばれる。推薦募集は9月に始まり、翌年の半ばに選定が発表される流れである。2015年9月の推薦は2016年の発表に、2023年9月の推薦は2024年の発表に対応する。

その間に、選定件数は184件から290件へ、106件増えている。年平均12件ほどである。9年で106件が新たに選ばれ、そのなかにこの建物はなかった。

まず、誰も推薦しなかったという説明は成立しない。推薦は9年間、毎年届いていた。

そして、届いていたことは組織の側の文書でも確認できる。2025年8月25日付でDOCOMOMO Japanが香川県知事、県議会議長、県教育委員会教育長の3者に宛てた要望書には、この建物が暫定リストに掲載されていることが明記されている。暫定作品リストは選定建築を選定する母体となる未公開のリストで、約200件が掲載され、毎年、推薦された作品が追記される、という注記がある。本文には、本会選定建築と同等の価値の高いモダンムーブメントの建築と考えている、とある。

推薦は届き非公開のリストには載り、選定建築物と同等の価値と認識され、9年間、そこから動かなかった。

旧香川県立体育館は退けられたのでもなければ、無視されたのでもない。非公開のリストに載ったまま動かなかった、というのが正確な姿である。

7

比較のために、選ばれた側を書いておく。

香川県からは、
香川県庁舎(no.16、丹下健三、1958年)
百十四銀行本店(no.80、日建設計、1966年)
坂出市人工土地(no.93、大髙正人、1968年)
瀬戸内海歴史民俗資料館(no.163、香川県建築課・山本忠司、1973年)
直島文教地区(no.277)
が選定されている。

そして、国立代々木競技場も選定されている。
選定の一覧には竣工当時の名称である国立屋内総合競技場として記載されており、no.18、丹下健三、1964年である。
代々木は選ばれ、同じ年に生まれた兄弟は選ばれていない。

体育館という用途でも、新潟市体育館、駒沢公園体育館、岩手県営体育館、蒲郡市民体育館、三春町民体育館、佐賀県体育館、坂城町文化センター体育館が選定されている。県立規模のものも複数ある。

岩手県営体育館/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

そして、県が作ったサウンディング型市場調査の案内には位置図が載っている。その地図には、香川県庁舎東館と百十四銀行本店に、DOCOMOMO選定という注記が入っている。地図の中心にある旧香川県立体育館には、その注記がない。

県が作った資料のなかで、この建物が選定されていないことが示されている。

選定の有無は、実務にも効く。選定建築物であれば、それ自体が保存を求める根拠になったはずである。県の資料に注記が入り、事業者にとっては価値の裏づけになり、募集要領のなかで1行の重みが変わる。それがなかった。

因果は書けない。選考から外れていた理由は公表されず、外からは分からない。所有者の協力が得られない建物を選定から外す運用がありうるなど、考えられる説明はいくつもある。

書けるのは、期間の重なりだけである。推薦を始めた2015年は、新香川県立体育館の整備検討委員会が始まった年である。推薦を終えた2023年は、県が解体方針を決めた年である。9年の推薦期間は、新旧二つの香川県立体育館の行方が決まっていく期間をそのまま挟んでいる。

因果関係は分からない。ただ、時期が重なっていたことは記録しておきたい。

8

国外と国内で4年の差がある。

DOCOMOMO Internationalの公式ページには、2021年10月19日付で、この建物の署名の呼びかけが投稿されていた。表題はSave Kagawa Prefectural Gymnasium。change.orgの署名ページへのリンクがあり、詳細情報として本部サイトの該当ページが示されている。そのページは現在削除されている。

日付を見てほしい。2021年10月19日は、サウンディング型市場調査の提案書提出締切である10月21日の2日前、提出を目前にした最終局面である。国際本部は、サウンディングの渦中に署名を呼びかけていた。

投稿は、修復と再利用の買い手が現れなければ解体される可能性が高い、という認識を示している。2018年のワールド・モニュメント財団、危機に瀕する文化遺産を選定して支援する国際的な民間団体のウォッチリストに掲載されたことにも触れている。2021年の時点で、買い手の有無が分かれ目であることは国際的に共有されていた。

日本支部の要望書は、2025年8月25日である。約4年の差がある。そしてこの日付は、再生委員会が買い取りの意思を示した1か月後、県が解体工事の入札を公告した18日後、入札の実施の11日前にあたる。解体の手続きが動き出してからの意思表示である。

2014年に現地を視察して保存を強く推奨したのは、DOCOMOMO Internationalの当時の会長らである。国内の記事では本部と支部が「ドコモモ」と一括りに書かれることがあり、そのままでは両者の動きの差が見えない。一次資料に当たると、はっきり分かれる。本部は2014年に動き、2021年に署名を呼びかけている。支部の公式の意思表示は2025年である。

閉館時ニュース(産経新聞)
丹下建築の体育館は香川の誇り 閉館惜しみ保存よびかけ

9

DOCOMOMO Japanの要望書には、大事な注記がある。

注3に、これまで3か月から10か月程度の募集期間の末、応募がない、または条件が合わないとして、DOCOMOMO Japan選定建築の旧羽島市庁舎などが解体されたこと、募集期間が短すぎると考え、募集期間の延長や解体の延期を要望してきたこと、が書かれている。本文には、具体的な再生提案までには2年から5年を要すると考えている、とある。

つまり、募集期間が短すぎるという問題を、この組織は課題として認識し、他の案件では要望を出してきた。

香川のサウンディング型市場調査は、要領に書かれた申込期間が2か月余りである。しかも建物の価値を伝えるパンフレットが出たのは、申込締切の1か月足らず前だった。その時点でDOCOMOMO Japanからの要望は出ていない。

注3が例に挙げているのは選定建築である。香川は暫定リストである。

9年推薦しても選定に至らず、選定建築でないために、募集期間が短いという組織の問題意識が香川には及ばなかったのかもしれない。

これも因果としては書けない。組織が、選定建築でないから動かなかったと述べたわけではない。並置までにとどめる。

だが、並べた結果として見えてくる形はある。誰も拒んでいない。誰も間違っていない。それでも動かない。第1部で書いた評価委員会と、まったく同じ形をしている。妥当な運用を積み上げた結果として、この建物についてだけ、どの回路も作動しなかった。

10

もう1つ、価値の言語がどう摩耗したかを示す事実がある。閉館の理由の説明が、少なくとも4通り流通していることである。

老朽化。耐震性能の不足。改修工事費の高騰。屋根の漏水。

DOCOMOMO Internationalの投稿が引いている記述では、吊り材の錆による屋根の漏水が閉館につながったとされている。
県の公式の説明は、耐震改修工事費が多額に上ることと、競技施設としての機能が不十分であることである。2015年11月の県議会では、質問した議員は屋根が落下する危険性と述べ、教育長は同じ場で天井が落下する可能性から立ち入りをお断りしていると述べている。屋根と天井が使い分けられている。ただしこの建物では、吊られたプレキャストコンクリート版、工場などであらかじめ成形しておくコンクリートの板だが、それが屋根であると同時に内側から見れば天井にもあたる。ほぼ同一の部材なので、言い分けは意図的なものではないかもしれない。

平成24年度の耐震診断そのものは、屋根中央付近のプレキャストコンクリート版の鉄筋やシース管の腐食破断と断面欠損を指摘する一方、崩壊形式としては壁のせん断破壊と大柱支持杭の圧壊および浮き上がりによる強度型を挙げている。コンクリート強度は各階とも設計基準強度を上回り、不同沈下は生じていないと考えられるとし、柱の傾斜も1998年と同様としている。

どの説明が正しいかは、私は書かない。いま裁判で争われている論点そのものに触れるからである。片側だけを引くこともしない。

書けるのは、言い換えの積み重なりが通念を作ってきた、ということである。老朽化した危ない建物、という一言に縮んだとき、それを解きほぐすのに要する言葉の量は、縮める側の何倍にもなる。価値の言語は長く、通念の言語は短い。この非対称は、制度の問題ではなく、単に言葉の性質である。だが実際の勝敗はここで決まっている。

11

隈研吾氏は5本目で、代々木とこの建物を1つの重要なカップルとして位置づけた。国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会の代表理事という立場からの発言であり、連続性のある複数資産としての登録可能性を含意しうる。実務的に使える主張である。東京対地方、東対西という軸の提示も有効だと思う。

国立代々木競技場/PHOTO:ゆうさかな(物語を届けるしごと)

ただ、比較の中身が書かれていない。そして、中身にこそ、氏が立てた軸の答えが入っている。

代々木は、2本の主柱から吊られたメインケーブルの反力を、地中のアンカーブロックで受けている。建物の外側に、力を逃がすための巨大な仕掛けを持っている。周囲の敷地を含めて1つの構造物になっている、と言ってもいい。

香川は違う。吊られた屋根の反力を、両端の躯体(くたい)そのもので受けている。外部にアンカーを持たない。力の釣り合いが建物の内側で完結している。あの船のような形は、意匠の思いつきではなく、反力を自己完結させた結果として現れた形である。日本刀の反りという説明は県の資料にも書かれているが、それは形の説明であって、構造の説明ではない。

だから、この2つは兄弟ではあるが、同じ体つきの兄弟ではない。

代々木には、外に反力を逃がすための土地があった。香川の敷地は狭かった。狭いところで同じ構造表現はできない、力を建物の内部に封じ込めるしかない。その制約が、結果として、代々木にはない造形を生んだ。

つまり、東京対地方という差は、この2つの建物では、構造形式そのものとして現れている。地方の劣位ではない。制約が固有の解を生んだ例である。カップルとして語るなら、そこまで言えたはずだと私は思う。

そして、この差は保存の実務にも効く。外部アンカーを持たない構造は、屋根の重量が躯体全体の力の流れに影響する。だから改修の難易度が上がり、施工者が慎重になる。2013年から2014年の3度の入札不調について、県が聞き取った理由のなかに、吊り屋根構造の特殊性と、全国でも改修事例が少なく施工の難易度が高いことが挙げられていた。あれは、この建物の構造形式から出てくる困難さである。

構造の話は、価値の話であると同時に、費用の話でもある。この2つを別々の言語で語っているかぎり、価値を語る側の言葉は、判断する側に届かない。

12

田根剛氏の5項目のうち、私がもっとも展開されるべきだと思ったのは、耐用年数の項目である。

耐用年数と構造的寿命は、まったく違うものである。

減価償却資産の耐用年数は税制上の区分であり、鉄筋コンクリート造の事務所なら50年といった数字が定められている。これは会計上の期間であって、建物がいつ危なくなるかを示す数字ではない。公共施設等総合管理計画で使われる更新時期の目安も、多くは同種の年数を基礎にしている。

構造的寿命は、材料の劣化と、その建物が受け続けてきた荷重と、環境の履歴から決まる。一律の年数はない。

この建物の2012年の耐震診断は、その差をよく示している。推定された圧縮強度は、各階とも設計基準強度を上回っていた。中性化(ちゅうせいか)、コンクリートが空気中の二酸化炭素で劣化して鉄筋を守る力を失っていく現象だが、それが主鉄筋に到達するまでの年数は27年と算定されている。不同沈下は生じていないと考えられるとされ、柱の傾斜も1998年と同様で、傾斜は見られなかったとされている。躯体の耐震性能を大きく低減させるひび割れも見られなかった、と書かれている。

その一方で、屋根を形成する1436枚のプレキャストコンクリート版について、中央付近の版にて、目地モルタルの空隙と雨水の滞留により、鉄筋やシース管の腐食破断と断面欠損が確認され、1998年と比べて中央付近では急激に腐食が進行している、とされている。

つまり、コンクリートの躯体そのものは50年近く経っても健全で、劣化が進んでいたのは屋根まわりの特定の部位だった。

これが構造的寿命というものの実際の姿である。建物全体が一様に古びるのではない。特定の部位が特定の理由で傷む。そして特定の部位は、原理的には直せる。

老朽化という一語は、この差を丸ごとを消してしまう。50年経った建物、という言い方が通念になった瞬間、どこがどう傷んでいるのかという問いは立たなくなる。

私は、この建物が安全だとも危険だとも書かない。それはいま裁判で争われている論点であり、意見が対立している場所である。診断書の健全な部分だけを引いて主張に使うことは、保存を求める側であってもやってはならないと思っている。再生委員会も同様の姿勢だと思う。

書けるのは、耐用年数という言葉と構造的寿命という言葉が、行政の文書のなかでも、報道のなかでも、しばしば同じものとして扱われている、ということである。田根氏の5項目のうち、実務的にもっとも効くのはここだと私は思う。公共建築の処分の判断において、会計上の年数を根拠にしないこと。これは制度として書ける。

13

そして、この件には50年という数字がもう一度出てくる。

旧香川県立体育館は1964年竣工、2014年9月末の閉館である。ちょうど50年目にあたる。

登録有形文化財の登録基準は、原則として建設後50年を経過したものである。DOCOMOMOの選定にも同様の目安がある。

つまり、この建物が文化財として評価の対象になり得る資格を得たのが2014年である。

同じ2014年に、閉館している。

旧香川県立体育館(船の体育館)/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

そして第6節に書いた通り、その後の9年間、推薦は毎年届き、暫定リストには載り、選定には至らなかった。制度の入口には立てたが、通れなかった。

これは香川に限った偶然ではない。戦後に建てられた建築の多くは、価値を評価される資格を得る時期と、機能的に限界を迎える時期が重なる。50年という数字は、文化財制度の入口でもあり、減価償却の目安でもあり、設備更新の周期でもあり、自治体の公共施設等総合管理計画で更新か廃止かを判断する分岐点でもある。

同じ50年が、片方では評価の始まりで、もう片方では処分の検討の始まりになっている。

資格を得た瞬間に、その建物は同時に処分の検討対象になる。価値が正当に評価されるための期間が、構造的に存在しない。

私はここで、制度が悪いという話をしているのではない。二つの50年が同じ年に来る、という事実を置いている。田根氏が挙げた耐用年数の項目は、こうして具体的な形を持つ。会計上の年数を処分の根拠にしないこと。それに加えて、文化財としての評価の手続きと、施設の更新の判断の手続きが、同じ時期に、まったく別々に走っているはずで、双方を接続し議論することを。

14

価値の言語が届かなかった理由には、香川に固有の事情もある。書いておく。

香川には、建築を教える大学が長いあいだなかった。いまは建築を学べる学科が創設されたが、この建物の行方が揺れていた時期には、それがない。建築系の学科を持つ高等教育機関がないということは、その土地に、建物を研究対象として公の場で語り育てる職能が組織として存在しないということである。研究室がない。学生がいない。卒業論文の対象にならない。地元のメディアが意見を求める先がない。

そして、日本建築学会四国支部の香川支所は、長らく県の営繕課長が支所長を務めるのが慣例だ。

これは悪意の産物ではない。地方の支所を回すには、地元で建築行政の実務を束ねている人が就くのが合理的である。人手も限られている。誰かが引き受けなければ支所は回らない。

ただし、結果として何が起きるか。地元の学会という回路と、県の営繕という回路が、同じ人のところで一本にまとまる。学会経由で県の外へ、あるいは県の上へ情報が伝わるという道が、構造的に細くなる。

第1部で書いた評価委員会と同じ形である。妥当な運用が、結果として回路を1つに束ねる。

もし当時から香川に建築系の学部があり、学会の支所が県の営繕から独立して回っていたら、2013年の3度の入札不調は、その時点で技術的な議題になっていたかもしれない。吊り屋根構造の改修が全国的にも事例の少ない難工事であることは、県自身が聞き取って文書に残していた。それは学術的にも実務的にも十分に議題になる内容である。議題にする場が、この土地になかった。

私はここで、県外の学会が動くべきだったとは書かない。県外から見て、香川の1つの体育館の入札不調が議題に見えるはずがない。地元で議題にならなかったものが、県外で議題になることはない。

ただし、学会がこの建物を扱わなかったわけではない。ここは正確に書いておく。

高知工科大学での支部総会/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

2016年5月14日、高知工科大学で行われた日本建築学会四国支部の総会で、香川県立体育館調査研究委員会の報告が行われている。委員長は、かつて山本忠司の事務所にいた建築家平野佑一氏である。閉館中のこの建物について、独特なデザインと構造に着目し、成立の歴史的経緯の解明と資料収集と建物調査を行い、報告書にまとめて丹下作品の研究の一助とすること、というのが委員会の目的だった。

報告された作業の中身は具体的である。図面の収集では、香川県が所有する図面が県立文書館と倉庫に計117枚あることを確認している。原図面は県外にあり、ハーバード大学に保管されていると報告されている。私は現物を見ていないので、ここは聞いている話として書く。実測調査では、その3週間ほど前に取得された三次元データと図面の差異を確認している。

そして2018年、この委員会と私たちの会、船の体育館再生の会との共同で、関係者への聞き取りが行われた。

旧香川県立体育館を丹下都市建築設計事務所との共同で設計をした集団制作建築事務所のメンバーで、当時85歳の方から設計の過程を聞いている。構造設計を担当した岡本剛建築設計の担当者、当時80代の方からも話を聞いている。施工にあたった清水建設の現場担当者、当時81歳の方からは現場の様子を聞き、1965年1・2月号の社内報と工事写真を閲覧して複写している。

意匠と構造と施工、三つの側から直接話を聞いたことになる。いずれもこの時点で80代である。いま同じことをやろうとしても、もうできない。

聞き取りの様子/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

この他に何度か、学会という組織の名のもとに調査なども行われた。

ただし、その後、県内の学会内でどの様に扱われたかが重要である。香川県内で議論が高まって上に伝わった、という形跡はない。四国支部から報告を求められた形であり、その経路を作ったのは、私とは別の一人の学会員である。そして2018年の調査は、学会の委員会と、保存を求める側の団体との共同だった。県の側と、この作業が繋がった形跡はない。

組織の回路ではなく、個人の回路だったとも言える。

支所長の職は回っていた。会議も開かれていた。だが、そこから議論が起き、上に伝わる仕組みにはなっていなかった。上に伝わったのは、たまたま積極的に動く個人がいたからである。そして個人の回路は、その人が動けなくなれば止まる。

図面の所在についても、同じことが言える。いま、この建物の図面がどこにあるかを並べると、こうなる。県が持っているものは青焼き図面で117枚。原図面はすべてハーバード大学。そして2024年、構造設計者の自宅から検討段階の構造図が見つかり、現在は東海大学にある。検討段階の意匠図は、丹下事務所と共同で設計にあたった集団制作建築事務所の方が名誉教授を務める室蘭工業大学にある。

一つの建物の図面が、国内外の四か所に分かれている。県内にあるものは複製である。

委員会は2016年の時点で、県内の枚数も原図面の行き先も突き止めていた。

こうした調査の成果は、この建物の価値を語る場面で、私たちも大いに活用させて頂いた。学会と共に調べた情報が、私たちを通じて旧香川県立体育館再生委員会へ渡り、現在も社会へ届いている。

ただし、どう直せば使えるのか、どういう用途なら成り立つのか。その問いに学会の知見が正規の回路を通って使われた形跡は、私の知る範囲でない。

学会の回路はあった。しかし香川県の所有する旧香川県立体育館の問題については正規の回路で上には伝わらなかった。

私は2021年2月に元建築学会長と繋がることが出来たが、それは旧香川県立体育館と関係のない頃からの個人的な人間関係の延長線上での出来事である。

どう直せば使えるのかを語る言語は、語る場所と、その場所から上へ伝わる回路がなければ、どこにも届かない。連載の42人のうち何人が、2013年の入札不調をリアルタイムで知っていただろうか。この建物に建築的価値があることは、県外にも届いていた。しかし耐震改修工事が3度不調になった、その原因が学術的にどう評価できるのかは届いていなかった。私は誰も責めていない。ただ、それを伝える回路が、香川になかったのである。

15

では、対立の構図が鮮明になってからはどうだったか。

香川県に宛てて出された要望書、嘆願書、書簡を並べておく。私が把握している範囲である。
当事者にあたるものは除いた。再生委員会自身が出したものと、設計者側から出されたものである。どちらもこの建物と直接の関わりを持つ立場からの発信なので、以下の一覧には入れていない。

2023年
・ワールド・モニュメント財団(WMF)から県へ、解体方針についての声明。

2025年4月
・ハーバード大学デザイン大学院の上級教員から県知事へ、解体の再考を求める嘆願書。

2025年5月
・日本建築家協会四国支部から県教育委員会へ、解体の延期と時間をかけた検討を求める要望。
・ハーバード大学とイリノイ大学の関係者から県知事へ、保存を求める書面。

2025年7月
・ハーバード大学デザイン大学院の上級教員から県知事へ、改めて解体の再考を求める書簡。
・ニューヨーク近代美術館(MoMA)から県知事へ、保存を求める嘆願書。
・イリノイ大学から県知事へ、同じく嘆願書。
・米国建築史家協会から県知事と高松市長へ、解体再考の正式な要請。

2025年8月
・文化庁の建築文化ワーキンググループの委員から県側へ、建築文化政策の上でのモデル性を指摘する見解。
・DOCOMOMO Japanから県へ、解体方針の再考と協力の申し出。
・日本建築家協会の会長から知事、県議会議長、各会派へ、保存活用と協議の場を求める要望。

発信者の顔ぶれを見てほしい。国際的な文化遺産の保護団体。米国の大学が二つ。ニューヨーク近代美術館。米国の建築史家の学術団体。国内の建築家の職能団体が支部と本部の両方。DOCOMOMOの日本支部。そして文化庁の建築文化ワーキンググループの委員。

いずれも、この建物の存廃で自分が得をする立場にない。利害のない外部から、これだけの数が同じことを言っている。価値を語る言語として、これ以上の布陣はちょっと考えつかない。

それでも、行政の判断とは接続しなかった。

私の知るかぎり、これらを受けて県が方針を再検討したという公表はない。この間に解体工事の入札が行われ、契約が結ばれ、着手されている。

日付にも意味がある。2023年の一件を除けば、全部が2025年4月からの5か月に収まっている。

この集中は、この建物が知られたから起きたのではない。まず、県が解体を実行に移す意思をはっきり示したから起きている。方針が決まったのは2023年2月だが、その後しばらくは、まだ何かが変わるかもしれない段階だった。2025年に入って、それが本当に壊す段取りとして動き出す。そこで声が出はじめる。

そして7月、再生委員会が買い取りの意思を示した。ここから、声はさらに集中する。8月だけで三件が出ている。

つまりこれらは、価値を訴えて判断を促そうとした声ではない。判断がもう終わっていて、実行が始まる直前に出された声である。

そして、これだけ出ても、動かなかった。

16

以上を並べると、世代差に見えていたものの正体が見えてくる。

価値は語られていた。県自身が語っていた。国際組織が2014年から動いていた。2018年のWMFウォッチリストに載り、海外の大学が視察に来た。日本国内の建築界も、価値を否定してはいなかった。暫定リストには載っていた。

それでも解体が決まった。そして決まったあと、前節に並べただけの声が届いても、決定は動かなかった。

上の世代が価値を語る書き方をするのは、建物が生きていた時代を共に過ごし、そしてその言語で建物が守られた時代を実際に生きてきたからだろう。用途変更のスキームがなくても、事業計画がなくても、この建物には価値があると権威が言えば、止まった時代があったのかもしれない。彼らが古いのではない。彼らが信じる価値の言語が有効だった条件のほうが、おそらく消えたのである。
前節の一覧は、その言語がどれだけ大きな声で語られても、もう単独では止められないことの証拠になっている。

下の世代が制度と関係を語るのは、その条件が消えた後から仕事を始めたからである。乾氏が判断を留保する力の実装を問い、藤村氏が行政の隣にいることを問うのは、価値を語っても止まらないことを前提にしているからだ。

だから連載の2つの層は、対立しているのではない。同じ現象を、有効性を失う前と後から見ている。

そして私は、後者の側で12年動いてきた人間である。制度と関係の側で、できることを1つずつやってきた。DOCOMOMOへの推薦を9年続けた。国際的な危機遺産リストへの推薦をした。海外の大学の視察を手助けした。市場調査に事業計画を出した。県議会議員選挙に出たこともある。

だから私が書けるのは、その処方箋を実践した人間としての報告である。批評ではない。

そして報告の内容は、こうなる。制度と関係の側の処方箋も、この件では条件が足りなかった。

その条件が何であるかは、私が提案者としてもっとも近くで見た手続きのなかに、いちばんはっきり出ている。

第3部につづく

旧香川県立体育館に思う 第1部 隣にはいた

1

まず自分の位置を書いておく。

私はBUNGA NET連載の執筆者には含まれていない。頼まれてもいないのに、この51本目を書いている。

私は高松で設計事務所を営んでいる一級建築士で、2014年7月に「香川県立体育館保存の会」を立ち上げてから、旧香川県立体育館の保存と再生に関わってきた。
会は2018年に「一般社団法人 船の体育館再生の会」に改組し、いまも続いている。2021年に県が行ったサウンディング型市場調査、地方自治体が所有している建物や土地の活用を検討するために民間事業者と直接対話して提案や意見を求める手法だが、これに提案を出した者の1人である。

外から見て私が矢面に立っていたのは、2014年7月から、2024年夏に開いた展覧会までの10年間だと思う。第0部のまえがきに書いた通り「旧香川県立体育館再生委員会」と私たちの会は違う団体である。

以上のことを書いておかないと、これから書くことの位置が定まらない。

12年のあいだ、この建物について多くのことを考え、そして発信してきた。そのほとんどの期間は、歴史的に価値のある建物の行く末に関心を持つ人たちのあいだで、議論が進んでいた時期にあたる。
連載の42人が書いているのは、主に、再生側と解体側の対立構図が鮮明になった局面以降である。私が書けるのはその手前にあたる。だからこの51本目は、連載と重ならない。

読者について一つ断っておく。この文章は建築の関係者に向けて書き始めたが、香川県内の人も読むだろうと思っている。だから、建築関係者には自明なことも、そのつど短く説明する。
旧香川県立体育館は通称を船の体育館という。1964年、東京オリンピックの年に完成した。設計は丹下健三、戦後日本を代表する建築家で、同じ年に完成し世界遺産化を目指している国立代々木競技場の設計者でもある。二つの建物は並行して設計が進められ、どちらも屋根をケーブルで吊って支える吊り屋根(つりやね)構造で、兄弟作品と言われている。


2

藤村龍至氏の稿は、連載のなかでもっとも実務的だった。行政側の意思決定を時系列で並べ直し、建築界の関与がそのたびに一歩遅れていたことを指摘している。維持できないと判断された後に残せと言い、解体が決まった後に再生できると提案し、工事が始まってから壊し方が危ないと言う。順番の指摘は正確で、痛い。

その上で氏は最後に問いを置いた。
「声を上げなくてはならなくなる前に、私たちは行政の隣にいられなかっただろうか」と。

私はこの問いに敬意を持っている。だから、否定ではなく事実で答えたい。

「隣には、いた」と。


3

2018年、香川県は新香川県立体育館の基本・実施設計業務について公募型プロポーザル、設計案そのものではなく設計者の考え方や体制を評価して選ぶ方式を実施した。応募は32者。4月に提案書の評価があり、5者が2次審査に進み、5月22日に県庁舎で公開プレゼンテーションが行われている。一般傍聴は約130人。その後の審議は非公開で、6月20日に最優秀者が発表された。11月に契約が結ばれている。

評価委員は9人だった。評価委員長は当時の京都工芸繊維大学教授が務めている。同じ人が、2013年5月から2018年9月までDOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of Modern Movement、モダン・ムーブメントに関わる建物と環境形成の記録調査および保存のための組織)の日本支部、DOCOMOMO Japanの代表を務めていた。公開プレゼンテーションが5月22日、最優秀者の選定が6月20日であるから、この審査は代表としての在任中にあたる。委員には法政大学教授の建築家と、日本大学名誉教授の構造家も加わっていた。前者は、この連載で自分が審査員だったことを開示している。後者は、いま保存を求める側にいる。

9人のうち、建築の分野から建物の価値を語りうる立場の委員は5人いた。そして委員には、県の教育長が加わっていた。

この名簿について、私は評価を加えない。加えられることが何もないからである。公募型プロポーザルの評価委員として、近代建築史の研究者を委員長に立て、建築家と構造家を入れ、既存建物の活用の実践者を入れ、交通の専門家を入れ、地元の体育と観光の団体の代表を入れ、発注者側の教育長を入れる。1つずつ見ていけば、どれも妥当な人選である。誰かが誰かを排除した形跡はない。妥当な人選を9つ積み上げた結果として、旧香川県立体育館について語りうる人たちが、新香川県立体育館の審査の席に同時に着いた。

そして、その審査の委嘱(いしょく)の範囲は、新しい施設だった。旧香川県立体育館は、この審査の議題ではない。

私はここで「委員たちは旧香川県立体育館について発言しなかった」とは書けない。書けるのは、委嘱の範囲がどこまでだったか、それだけである。評価委員は委嘱された事項を評価する。その席で委嘱の外の議題を持ち出す作法は、公募型プロポーザルの審査という手続きには用意されていない。持ち出せば審査の公正性が疑われる。そのことについては藤村龍至氏も寄稿で触れている。

この構造は、誰が入っても同じだろう。私が入っても同じだった。次に同じような人選が起きたとき、その席を引き受けるかどうかを考える人が、判断できる材料の一つとして、私はこの文章を書いている。

あなぶきアリーナ香川(新香川県立体育館)/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

4

時系列を確認しておく。

旧香川県立体育館が閉館したのは2014年9月末である。県が解体方針を決めたのは2023年2月。その間は8年5か月ある。2018年6月の新香川県立体育館の審査は、旧香川県立体育館が閉館してから3年9か月、解体方針の決定まで4年8か月の位置にある。

つまり、ほぼ中間点である。

もし両者が接続できていれば、早すぎたのでもなければ、手遅れでもなかった。旧香川県立体育館の建築の価値を語りうる人が9人中5人いる新香川県立体育館の審査の場が、旧香川県立体育館の運命が決まっていく8年5か月のちょうど真ん中にあった。藤村氏の「常に手遅れだった」という診断に対して、私が出せる具体的な反例はこれである。手遅れだったのではない。真ん中にいて、議題が別だった。

ここで、今後の書き方について一つ断っておく。この文章では、時間と人物を一つの文で結ばない。時間は建物の記録として扱う。名簿は名簿の段落に、年月は年表の段落に分けて置く。2つを繋ぐのは読者であって読み方は読者に委ねたい。


5

旧香川県立体育館の側にも、外部の専門家はいた。

私は長いあいだ、旧香川県立体育館には有識者が置かれなかったと理解していたが、これは誤りである。ある記者が情報公開請求で開示した文書のなかに、2021年10月18日付、保健体育課作成の「旧県立体育館のサウンディング調査(アドバイザー)」がある。県は建築(構造)と、事業運営・ファイナンスの2分野で、専門家に助言を求めていた。しかし氏名と所属は黒塗りであり、経歴や資格など、どのような人物だったのかは分からない。

だから、置かれたか置かれなかったか、という対比は成立しない。成立するのは形式の差である。

新香川県立体育館の設計者選定では、評価委員会が置かれ、一次審査を通過した者が公表され、公開プレゼンテーションが130人の傍聴のもとで行われ、映像記録を通して評価委員会と設計者との間でどの様なやり取りがされたのかが残っている。そして旧香川県立体育館のサウンディングでは、アドバイザーが立てられ、氏名と所属は伏せられ、県職員との面談は個別に非公開で行われた。

同じ県が、ほぼ同じ時期に、2つの建物について外部の専門家を使っている。片方は公開され、記録が残った。片方は非公開で、記録が残らなかった。この差は、誰かの意図によるものではない。手続きの種類が違うからである。設計者選定は公正性を担保するために公開が原則で、市場調査は事業者のノウハウを守るために非公開が原則である。どちらの原則も正しい。

ただ旧香川県立体育館についての判断は、誰も検証できない側に置かれた。


6

旧香川県立体育館について、議会では議題とならなかったのか。
県議会の会議録は公開されている。

2014年10月24日、決算行政評価特別委員会。閉館の約1か月後にあたる。ここで教育長は、平成24年7月の段階で屋根の落下の危険性が生じているとしてアリーナ部分を閉じたこと、平成25年度に実施設計をやり直した上で入札を3回行い、資材価格の高騰と労務単価の上昇に加えて吊り屋根構造の特殊さもあって3回とも応札者がなかったこと、平成26年度予算では10億円を超えて計上していたがそれをはるかに超える金額が見込まれたこと、天井が低く全国規模の大会が何競技かは開催できないことを述べている。

ここで正確に書いておかなければならないことがある。3度不調になったのは、耐震改修工事の施工業者を決める入札である。耐震改修工事の設計は完了していた。実施設計はすでに丹下都市建築設計が行っており、図面は存在していた。実施設計の予算は1029万9000円である。設計が決まらなかったのではなく、その設計で工事を請ける会社が現れなかった。ここを混同すると話しが変わってしまう。

同じ2014年10月の委員会で、1人の委員が正面から問うている。天井が低くて全国規模の大会が開けないというのは、耐震化や補修をする前から分かっていた話ではないか。中核的体育館の調査検討委員会(のちの新県立体育館整備検討委員会)もあるのに、実施設計に1000万円をかける時点で検討はなかったのか、と。

教育長の答えが、この件で重要な記録だと思う。実施設計を行うということは、今の天井は低いけれども辛抱強く使っていこうというのが前提にある、と述べているのである。一方で中核的な体育館の調査検討も行っているのは、まずは古い体育館を使いながら将来的にどうするのかを併せて調べるという整理だった、と。

2014年10月のこの答弁は、1年前のことを振り返っている。つまり、耐震改修工事の入札が行われていた2013年度の時点で、県の方針は、直して使い続けることだった。解体ありきではない。入札の不調が方針を変えた。私は2023年2月に、閉館当初から解体ありきだったという趣旨の文章を書いたことがある。少なくとも2013年度については、それは当たっていなかった。この答弁が示しているのは閉館の前の方針であり、閉館のあとの県の考えまでは、この記録からは分からない。

同時に、機能が不十分だという理由が、閉館の決定に後から加わったものであることも、この委員と教育長のやりとりから読み取れる。推測ではなく記録である。

そしてもう1つ。同じ場で教育長は、他の用途としての利用の可能性に触れて、必ずしも県で整備をする必要があるとは思っていない、いろいろな意見があろうかと思うので意見を聞いて、と述べている。2014年10月である。サウンディング型市場調査の7年前に、民間活用の可能性は口にされていた。


7

翌年の記録には、この建物そのものが正面から出てくる。
2015年11月26日、平成27年11月定例会の代表質問である。

ただし、取り上げたのは早く壊せという側だった。

質問者は、屋根を補強する特別な工事が必要とされたこと、予算を6億円近くから8億円余りまで引き上げたが実施に至らなかったこと、天井が低く競技施設としての機能も十分でないこと、財政運営指針で多額の収支不足が見込まれるなか優先すべきは県民の生活に影響する行政サービスであること、新旧2つの体育館を維持管理していく財政的余裕は本県にはないこと、東京では同じ設計者のホテルが再開発で取り壊された実績があること、県立体育館の保存に対する県民意識がそれほど高くはないと思われることを述べ、早急に解体の方針を決定して新体育館の整備に向けて次のステップを踏み出すべきだと求めている。

この質問には、もう1つ数字が出てくる。本県には約42億円をかけて歴史的・文化的・芸術的価値を保存するという判断をした県庁舎東館がある、というものである。質問者はこれを解体推進の論拠として引いている。すなわち同じ県がすでに1つ保存したのだから、2つは無理だ、という文脈である。

裏返せば、同じ県が、同じ設計者の建物に42億円をかけて保存した実績がある、ということでもある。この数字は第2部でも出てくる。

教育長の答弁は、改修を見送って閉館した理由として多額の経費と競技施設としての機能の不十分さを挙げ、安全上の措置を説明した上で、体育館以外の用途としての利用の可能性なども含めて関係部局と協議しているところだ、仮に解体するとしても多額の費用が想定されるので県財政に留意しつつ引き続き検討を進め、県議会の意見を聞きながらその取り扱いを固めたい、当面は今の状態で適切に管理を行っていく、というものだった。

決めていない。2014年8月に雑誌の取材に教育長が答えた内容も、これから保存するか取り壊すかを検討していくというものだった。2014年から2023年まで、県は公には未定を貫いている。

議会で旧香川県立体育館を語る回路は、存在していた。そして、そこを通ったのは解体を促す声だった。回路がなかったのではない。回路はあって、私が読んだ範囲では、そこを通る声の向きが一方に偏っていた。

断っておくと、2014年から2023年までの会議録を私が通しで読み切ったわけではない。存続を求める質問が一度もなかった、とまでは書けない。書けるのは、この日の記録がこうだった、ということまでである。

香川県庁舎東館/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

8

ここで、一つ区別を入れておきたい。

藤村氏は行政の隣にいられなかっただろうか、と問うた。だが行政には、少なくとも二つの部分がある。執行部と議会である。この件では、その二つが時期によって正反対の側に立っている。

現在に至るまで執行部の側は、建物の価値を否定していない。2014年8月の取材でも、閉館の理由として挙げられたのは経費と競技施設としての機能であって、建築としての価値ではなかった。同じ年の10月の委員会では、他の用途としての利用の可能性を含めて検討する、必ずしも県で整備をする必要があるとは思っていない、と述べている。2015年11月の答弁でも、体育館以外の用途の可能性を含めて関係部局と協議している、議会の意見を聞きながら取り扱いを固めたい、と述べて、決めていない。2021年のサウンディング型市場調査の実施要領には、我が国最初期の吊り屋根構造であること、日本刀の反りがイメージされたこと、和泉正敏の石組があることまで書き込んでいる。2023年2月の回答でも、建築的な特徴を説明した上で英語版のパンフレットまで作って提案を求めた、と書いている。

執行部は、解体方針を決定するまで態度を保留していた。

一方、議会の記録に現れる旧香川県立体育館は、この時期、別の姿をしている。2015年11月には早急に解体の方針を決定すべきだと迫られ、2018年6月の新香川県立体育館の中間報告では後年の負担の先例として一度だけ登場し、2021年7月の質疑には一度も現れない。

議会は、解体を決めろと迫っていた。

そして、解体方針が決まったあとで、向きが入れ替わる。2024年には、解体費の妥当性を検証する場を作ってほしいという要望が議会に持ち込まれ、その年の12月に一般質問として取り上げられている。詳しくは第4部に書く。

保留していた側が決め、決めろと言っていた側から検証を求める声が出る。しかも、その入れ替わりは解体方針の決定を境にして起きている。

藤村氏の処方箋には、この区別がない。「行政の隣にいられなかっただろうか」といっても、執行部の隣にいるのと議会の隣にいるのとでは、できることが違う。そしてこの件では、どちらの隣にいるかで、時期によって言えることの中身が逆になっている。

私はここで、各議員そして議会の判断を批判するつもりはない。県内の読者にとっては、自分が選んだ人の話である。書けるのは、議会という場でこの建物がどう扱われたか、という記述までである。


9

2018年6月。新しい香川県立体育館についての4つの日付が並ぶ。

6月4日、県議会に県立体育館整備等に関わる特別委員会が設置される。前年12月に策定された基本計画の理念を実現するには、長く使われる施設とするための機能性などの議論が必要である、という観点からの設置だった。議題は機能性と運営である。

6月15日、同委員会が8項目の提言書を作成し、知事と教育長に申し入れる。外観のデザインなどの芸術性よりも機能性や収益性を重視してアリーナ機能を充実させること、戦略的な広報活動、建設コストや維持管理費を最適化した設計、管理運営方法と年間稼働日数の確保策、完成後の活用策やイベント誘致の方法、情報発信戦略、運営やマーケティングの知見を持つ人材からの意見聴取。そして8つ目に、これらの提言内容をプロポーザル評価委員会の審査委員に正確に伝えること。

6月20日、最優秀者としてSANAAが決まる。

6月21日、本会議で委員長が中間報告を行う。

この中間報告に、旧香川県立体育館が1度だけ登場する。新県立体育館は高松市にふさわしい外観は必要ではあるが、旧県立体育館がそうであったように、後年の維持管理費や改修費などが大きな負担となってはならない、という文脈である。

議題にならなかったのか、という問いへの答えは、ここでも同じである。旧香川県立体育館は議会に登場していた。ただし、何を残すかの文脈ではなく、何を繰り返さないかの文脈で登場している。教訓の材料としてなら、この建物は議会に入ることができた。保存の対象としては入っていない。

県議会の公式記録である。見立てではなく、ここに書いてある。

同じ報告から、新香川県立体育館の建設工事費を170億円から190億円と試算していたことも分かる。以後さんざん出てくる190億円という数字の出所は、基本計画である。改めて言うが、旧香川県立体育館の保存をめぐる議論とは、数字の桁が違うということは書いておく。

そして議会は、白紙撤回となったザハ・ハディッドの新国立競技場を引き合いに、魅力的なデザインが選ばれながら建設費が予定を超えた例に言及している。参考人からは、外観よりも使い勝手を優先させるべきだという意見が出ている。

新しい県立体育館について、議会は仕事をしていた。監視していた。監視の枠が金額と機能だった。


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2021年7月8日、令和3年6月定例会の一般質問。

この日付は、旧香川県立体育館のサウンディング型市場調査の提案参加申込が始まる19日前にあたる。

この日、議会に提案されていたのは、新香川県立体育館の建設工事においての令和4年度から令和6年度までの総額190億円の債務負担行為、複数年度にわたる支出についてあらかじめ議会の議決を得て将来の負担を約束しておく手続きだった。質問者は、最終的な建設工事費を190億円に抑えるための予算管理の方策を問うている。知事の答弁は具体的である。地盤調査結果に基づく杭工事の工法検討、ドーム部分の鉄骨建て方について想定される施工方法と工期に沿った工事費の積み上げ、工事発注までの物価上昇分の見込み。工期が32か月と長期にわたるため変動の予期は困難だが、仮に増額が必要となる場合でも、工事後半に施工される外構や内装仕上げ等の内容見直しによる減額などで増額幅の圧縮に努める、と。

質問者はこの文脈で、同じ市内の別の施設を引いている。当初事業費6億円の計画が相次ぐ入札不調で4回目の入札に至り、11億1800万円で落札され、さらに工事終盤に掘削できない岩盤が出現して完成が9か月遅れ、追加の増額が必要になった、という事例である。高松市によるプロポーザルで設計者が選ばれた施設で、事業費が当初計画の倍近くになっている、と。

つまり2021年夏の議会の関心は、新香川県立体育館の入札不調の懸念と着工後の工事費の膨張だった。

旧香川県立体育館が2013年から2014年にかけて3度の入札不調で改修を断念したのは、まさにその現象である。そして、同じ懸念が、新香川県立体育館については190億円という上限として詳細に議論され、旧香川県立体育館については、この日の議事に1度も現れない。

そして新香川県立体育館は2018年の基本設計から2021年前半の実施設計完了経て2022年4月の着工となる。議会内での議論の中身も会議録にある。
議会での争点はデザインと構造だった。メインアリーナは交流エリアとのあいだに壁を設けない構造で、同等規模のアリーナとしては全国に例がない。質問者はこれを全国初の構造の社会実験と表現し、遮音、物販場所、外部への音漏れ、入場券の確認といったデメリットを列挙して、関係者への周知を問うている。
知事は防音合わせガラスや電動遮光カーテンの採用、居住域空調、利用者動線の新設といった対策を答えている。

議会が新香川県立体育館の着工までの4年をかけて議論していたのは、工事金額に影響するデザインと構造の話であり終盤は内壁の有無だった。

その実施設計完了から着工までのあいだに、旧香川県立体育館についてのサウンディング型市場調査が始まり、そして終わっている。


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ここまでの記録を並べると、藤村氏の問いへの答えは次のようになる。

隣にはいた。近くにもいた。内部にもいた。新香川県立体育館の評価委員会には建築の価値を語りうる委員が9人中5人おり、発注者側の教育長も同席していた。旧香川県立体育館の側にも外部のアドバイザーが立てられていた。議会は新香川県立体育館について8項目の提言をまとめ、190億円の上限を監視し、トータル4年をかけてデザインと構造の是非を議論していた。

そして、旧香川県立体育館にとって大切だったこの時期、議題はずっと新香川県立体育館で埋まっていた。

だから問題は近さではない。枠である。隣にいた人たちは、それぞれ委嘱された枠のなかで、まっとうに仕事をしていた。評価委員は新施設を評価し、特別委員会は機能性と収益性を審議し、アドバイザーは提案の事業性と構造を見た。枠のなかで働くほど、枠の外は議題にならない。

そして、この件で恐ろしいのは、価値が理解されなかったことではない。価値は理解されていた。
枠の外に置かれたのは、旧香川県立体育館を残して使うという選択肢そのものだった。
新しい県立体育館をどうつくるかを決める場で、古い県立体育館も使い続ける案は、一度も対象として並べられなかった。並べられなかった選択肢には、退けられた理由も記録も残らない。

新施設の金額を監視する枠のなかでは、既存施設の保存は追加費用としてしか現れない。
すでに高すぎると批判されている案件に、保存の主張を持ち込めば、それは批判の燃料になりうる。
保存を口にすることが新香川県立体育館への攻撃に転化してしまう局面では、執行部の既存施設の保存派も新施設の推進派も口を開けない。
二重の閉塞である。


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この「語れなくなる」という現象について、私はしばらく、自分の見立てにすぎないと思っていた。

そうではなかった。行政の側が公式文書で説明している。

2023年、このサウンディング型市場調査に関する行政文書の公開を請求し、非公開とされた部分について、5節で書いた記者が追加で審査請求を行った。県教育委員会が出した弁明書に、アドバイザーの氏名・所属・提案書に係る意見を非公開とした理由が書かれている。建物の保存等を求める署名活動が2014年から行われ、この調査も報道で多く取り上げられる状況のなかで、この調査を経て解体の方針を固めることとなった、そのなかでアドバイザーの氏名や所属、提案に対する意見を公にすることは、アドバイザー自身やその所属する組織に不利益を及ぼすおそれがある、と。

保存運動が存在することを理由に、専門家の名前が伏せられている。

この判断そのものを批判するつもりはない。条例に照らした判断であり、手続きの建て付けとも整合している。開示請求で何が出て何が出なかったかは、第3部で詳しく書く。

ここで書いておきたいのは一点だけである。この建物について県庁内部で専門的な意見を述べた人は名前を出せない、と行政の公式文書が説明している。私の見立てではない。

近い人ほど語れなくなる。これは私が12年見てきた相関だが、その理由の1つは、こういう形で制度に書き込まれている。

香川県庁/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

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もう1つ、語り始めるまでに何が要るかを示す例がある。
旧香川県立体育館の設計者の側の動きである。

2025年8月1日、丹下健三氏の御子息でありTANGE建築都市設計の代表でCEOである丹下憲孝氏は、再生委員会の長田委員長宛に応援の文章を送っている。公開の声明ではなく、委員長個人に宛てた私信の形式である。県への異議も、解体への言及もない。委員会が文化的側面と経済的側面の両方に光をあてる形で活動していることへの感銘、父の建築が香川の自然や環境に寄り添いながら構造と造形の新たな挑戦を行ったこと、自分にとってもかけがえのない建築であること、そして今後力添えできる機会があれば申し付けてほしいという申し出。それだけである。

2026年3月19日、公開の声明が出る。県が3月中に解体へ着手する見通しとなっていた時期である。TANGE建築都市設計のSNSなどで公表された。ここでは個別の建築の存廃ではなく、日本の近現代建築のあり方全体に関わる重要な課題として書かれている。戦後に建てられた優れた建築が十分な議論のないまま次々と姿を消していることへの強い危機感。これらの建築は単なる老朽施設ではなく、戦後の社会がどのような価値観のもとに都市や文化を築いてきたのかを示す文化資産である、という位置づけ。安全性や財政的な制約が重要な判断要素であることは理解する、という一文も明記されている。そのうえで、継承とは単に形を残すことではなく、今の時代に求められる新しい用途を有した上で継承していくことだ、と書いている。いま問われているのは個別の建築の存廃ではなく、どのような文化を未来に残そうとしているのかという姿勢そのものである、と結ばれる。宛先は社会一般である。

2026年9月9日、3つ目が出る。ここで初めて県の判断に対する異議になる。2012年に自社が県の下で実施した耐震診断が解体の唯一の根拠として語られていることへの葛藤と憤り。診断は今後も長く安全に使い続けるための改修計画の起点として実施したものであって、解体のための免罪符ではない、という主張。

私信での応援から、公開の一般論を経て、名指しの異議へ。1年1か月かかっている。

私はこれを設計者の側が沈黙していた例としては読まない。段階が上がっていった理由を、丹下氏の側の事情としてだけ読むのも違うと思う。

県の側の姿勢を横に並べてみる。

2014年から2023年2月まで、県は公には存廃については未定を貫いていた。教育長は取材にも議会にも、保存するか取り壊すかはこれから検討すると答え続けている。未定の相手には、異議を申し立てる先がない。私が把握している範囲で、設計者の側からの存続を望むなどの発信が、この期間に見当たらないのは、そのためではないか。

2023年2月、県が解体の方針を決める。2025年7月に再生委員会が買い取りの意思を示し、その1週間後に丹下氏の私信の応援が出た。同じ月に県は解体工事の入札を公告している。

2025年12月、県議会が契約議案を可決し、契約が結ばれる。翌2026年2月10日、丹下氏から県知事宛の書簡。

2026年3月、県が3月中の着手を見込むなか、丹下氏が日本の近現代建築のあり方全体を論じる声明を出す。工事は地元説明会での意見を受けて延期され、4月に着工した。

2026年9月、裁判所の要請を受けて県が工事の一時中断を決める。ただし県は同時に、中断の期間が終われば直ちに工事を再開すると公表している。一時的に止めるが、方針は変えない、という意思表示である。同じ月に、丹下氏から県の判断そのものへの異議が出る。

つまり相手が一段進むたびに、応答が一段上がっている。

私信から一般論へ、一般論から名指しへという順序は、書き手の側で何かが熟していった過程ではなく、相手の出方への対応だったと見るほうが自然である。因果としては書けない。だが、対応の並びは記録として置ける。

そう読むと、設計者の側が語り始める条件が見えてくる。時間ではない。相手が動くことである。そして、この件で設計者の側が動いたのは、壊す意思が具体的な形となった時だった。

存続を望む声が上がらなかったのではない。上がる先が、長いあいだ存在しなかったのである。


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ここまで書いてきて、まだ触れていない側がある。県庁の内側で、この建物を直す仕事をするはずだった部署である。

1973年に竣工した瀬戸内海歴史民俗資料館は、DOCOMOMOの選定建築物である。設計者は香川県建築課、と記録されている。県の営繕部門が設計した建物が、後年、保存すべき近代建築として選定され、2023年には国の重要文化財となっている。BUNGA NETの連載の2本目で北山氏がネットワークの結節点として名指しした山本忠司は、その建築課を束ねていた。

県議会の、2015年11月の代表質問に、人事行政についての項目がある。そこには、平成7年度以降の行財政改革で職員数を平成10年度比で約24パーセント削減し、全国で最も少ない2800人体制になったこと、その手法が退職者数に見合う採用を行わない単なる引き算だったこと、結果として年齢構成のアンバランスという組織上の大きな傷跡が残り、20代後半から30代の層が非常に薄くなったことが述べられている。

因果関係は特定できないが、旧香川県立体育館の2013年の耐震改修工事の入札は、3度不調になった。

そして解体工事でも同じことが起きている。解体の方法や費用を把握するための設計業務は、2023年5月に12社を指名した指名競争入札が不調となり、業者を入れ替えて8社を指名した6月30日の2回目も、7社が辞退するなどして応札が1社にとどまり、県の規定に基づいて不調となった。当時、県営繕課は、金額や業者の忙しさ、建物の文化的価値などさまざまな要因が考えられるが特定はできていない、としている。

解体工事の監理業務も2度不調になった。2026年1月20日、高松市の建築設計事務所12社による指名競争入札で、10社が辞退または不参加、応札した2社のうち1社が最低制限価格未満で失格、1社が予定価格を超過した。翌2月の2回目も、9社が辞退または不参加で不調に終わっている。県は最終的に、解体の実施設計を手掛けた事務所から見積を取り、予定価格の範囲内だったとして随意契約した。

直すときも、壊す計画を立てるときも、その工事を監理するときも、この建物は通常の入札制度では決まらなかった。

香川県の営繕課の前身である建築課は多くの建物を直営設計していた。そして、数十年を経ていまは発注と設計が分離し、入札制度も変わっている。部署外から見れば同じような仕事に見えて、前提となる制度がまったく違う。そこを踏まえずに山本忠司の時代と並べれば、それはただの懐古になる。

書けるのは、体制と制度が変わったという事実と、その結果として何が成立していないかである。そのうえで問いの形なら立てられる。難易度の高い工事に対して外部の知見を組み込む仕組みが、この県の発注体制のなかに用意されているのか。用意されていないとすれば、それは誰の怠慢でもなく、制度設計の空白である。

瀬戸内海歴史民俗資料館/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

15

最後に、2013年の改修工事の3度の不調について、県の記録だけで書けることを書いておく。

1度目の公告は平成25年10月24日、予定価格は5億7888万円、11月15日開札、応札者なし。

2度目は同年12月5日の再度公告。県はここで入札参加資格要件を見直し、直近の単価に置き換えている。予定価格5億8968万円、12月27日開札、応札者なし。

3度目は平成26年1月16日の公告。入札参加表明のあった3社から参考見積を取り、予定価格を見直している。予定価格8億1432万円、2月14日開札、応札者なし。

県が調整したのは、予定価格と入札参加資格要件である。設計は変わっていない。

一方で、県は旧香川県立体育館の耐震改修工事の入札不調の理由についてのヒアリング結果を文書に残している。
全国的な資材価格の高騰と人件費の上昇に加えて、吊り屋根構造の特殊性、全国でも改修事例が少なく施工の難易度が高いため下請専門業者が慎重で見積が割高になること、工事中の降雨対策や仮設足場の費用が割高になること、吊り屋根の劣化した部分が目視以外では不明確でリスク管理のための工事費が割高になること、屋根プレキャストコンクリート版の目地部の斫り(はつり)施工が難しいこと、屋根の下地状況が不明で下地処理が難しいこと、下請業者に見積を依頼したが回答がなかったこと。

読めば分かる。これは価格の話ではない。施工方法が確定できないという話である。

同じ時期に取材していた当時は日経アーキテクチャの記者であった、BUNGA NETの宮沢洋氏が、のちにこう書いている。改修費が読みにくかった大きな要因として、吊り屋根が構造的にコンクリート躯体(くたい)とつり合っているため、想定されていた防水補修のコストでは済まないという懸念があったようだ、と。県の記録とは別の経路から、同じ場所を指している。屋根の補修が屋根だけの工事にならない、可能性があるという話である。

県はそれを聞き取り、文書に残した上で、対応としては予定価格を上げた。

不調が続けば、通常は設計に立ち返る。工法を変えるか、範囲を絞るか、仕様を落とすか、設計者と一緒に成立する形を探す。実務をやっている人なら誰でも知っている手順である。それが行われた記録はない。

そして7年後の2021年、県はサウンディング型市場調査において、提案者に対して平成25年度耐震改修設計の改善点と代替案の提示を求めた。造形性・空間・構造的特性を踏まえた改修案、安全確保のための構法と経費まで含めてである。費用は原則として事業者の負担。申込の期間は2か月余り、提案書の提出までは3か月足らず。

県が自分でやらなかったことを、7年後に、民間に対して、全額そちら持ちで、3か月足らずで出せと求めたことになる。

旧香川県立体育館/PHOTO:Noriyuki Kawanishi

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藤村氏の処方箋を、私は否定しない。設計者や施工者が日頃から行政の隣にいることは、必要である。

ただ、条件が1つ足りない。

隣にいることは、この件では実現していた。実現した上で、隣にいる人ほど、語れる範囲が委嘱と手続きの内側に縮んでいった。評価委員は評価委員として、アドバイザーはアドバイザーとして、議会は議会として、それぞれの枠のなかで正確に働いた。枠の外の議題を持ち込む仕組みが、どの枠にも用意されていない。

そしてもう一つ。隣に立つには、資格が要る。

ただの専門家では隣に立てない。評価委員に委嘱されなければ審査の場には入れないし、議会で発言するには議席が要る。専門家として意見を求められるには、そう求められるだけの立場が要る。

隣にいることは、態度の問題ではなく、資格の問題である。日頃から行政の隣にいようと思ったとき、まず必要になるのは志ではなく、その席に着ける形を先に整えておくことだ。私自身がどうやってその形を整えようとしてきたかは、第3部と第4部で詳しく書く。

だとすれば要るのは、近づくための方法ではなく、近づいた人が委嘱の範囲外の議題を持ち込める回路である。制度として、である。設計者選定の評価委員会に、周辺の既存公共建築の扱いについて所見を付す枠を設けてもよい。市場調査の実施要領に、対象建物の処分方針が未定である場合はその旨と検討状況を明記させる項目を入れてもよい。特別委員会の付議事項に、対象事業に関連する既存施設を含めてもよい。今の私には資格がないが、どれも小さな変更なのではないか。

近づいた人に枠を超えた勇気を求めるのは、個人の資質に頼ることになる。そうではなく制度の設計に組み込むこと。再び個人の資質に頼れば、次に同じ席に座る人が、また同じ位置に置かれ語れなくなる。

隣にはいた。だから次に問うべきは、隣にいる人が何を言えるようにするか、である。

第2部につづく

旧香川県立体育館/PHOTO:Hidehiko Waki

旧香川県立体育館に思う 第0部 まえがき

この文章は、BUNGA NETの連載「アーキテクトボイス50─旧香川県立体育館に思う」を読んで書いたものである。連載は50人を予定していたが、中断していた解体工事の再開を目前にした2026年10月14日、42人目で当面の休載となった。番号は予定に合わせ、この文章を51本目とする。
 
4部に分けて、次の日程で掲載する(予定)
 
51本目「旧香川県立体育館に思う」
第1部 隣にはいた 10月16日
 
BUNGA NETの連載に寄せられた42人の文章のなかに、香川を拠点に活動する書き手はいなかった。この建物の利用者であり、この土地で設計をしている者が、この連載に応えて書くのは、これが初めてになる。
 

はじめに、二つのことを断っておく。

一つ目は、書いている位置である。
私は2014年7月に香川県立体育館保存の会を立ち上げ、9月末の閉館までに、中で利用している人たちの様子も含めて、開館している時にしか撮れない写真を撮りためた。(撮りためた写真は、写真集「船の体育館」として今も販売中である)閉館してからいまに至るまで、この建物が使われていた記憶と、建てられた歴史を伝え続けている。会はのちに一般社団法人 船の体育館再生の会に改組し、そして私はこの建物を12年見続けてきた。
2025年からは、長田慶太さんを委員長とする旧香川県立体育館再生委員会が、この建物を残すための取り組みの先頭に立っている。
私たちの会とは別の団体だが、目指しているところは同じである。私が前に出にくくなっていた時期に、長田さんが動き出してくれた。そのことに感謝している。
同じ出来事でも、どこから、どれだけの期間見ていたかで、見え方は変わる。再生委員会の側から語られてきたことと、ここに書くことのあいだに違いがあるとすれば、それは見ていた位置の違いによるものだと思う。
どちらが正しいかを決めるために書くのではない。12年見続けてきた一人の位置から見えたものを、記録として残すために書く。再生委員会がこれまで語ってきた経緯とあわせて読んでいただければ、この建物をめぐる時間が、より立体的に見えてくると思う。
 
二つ目は、この文章の成り立ちである。
私はこれを、連載の序盤に掲載された藤村龍至氏の寄稿に答える形で、2014年と2015年、そして2021年に何があったのかを書くところから始めた。書き進めるうちに、今は矢面に立っていないからだろうか当時は見えていなかった論点がいくつも出てきた。1万字を超えたあたりで、これまでの活動をまとめる論考にしようと考え、出てきた論点を一つずつ拾い集めていった結果、いまの4部構成になった。そのため、連載の中盤以降に寄せられた文章には、一部を除いて、個別に応答できていない。応答していないことは、軽んじたということではない。書き始めた位置の都合である。
 
本文では、公表資料から書ける部分と、私の手元の記録からしか書けない部分を、そのつど分けて示す。また、私自身がこれまでにしてきた説明のうち、不正確だったものは、本文のなかで訂正している。
 
2026年10月15日 河西範幸