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BUNGA NETの連載「アーキテクトボイス50」に、依頼もされていないのに51本目として応答している文章の、2本目である。
第1部では、旧香川県立体育館(船の体育館)をめぐって、行政の隣に人はいた、それでも議題にならなかった、という話を書いた。この建物は1964年竣工、設計は丹下健三、屋根をケーブルで吊る吊り屋根(つりやね)構造である。私の立場については第1部の冒頭に書いた。
連載を通して読むと、書かれ方が概ね2つの層に分かれているのが分かる。
一方は、価値と歴史を語る層である。発起人の3人と隈研吾氏の稿は、この建物が何であるかを説明することに力を注いでいる。
丹下健三の到達点として、代々木の兄弟として、金子正則県政という特異なデザイン行政の産物として、構造家の系譜のなかの1点として。過去を見て、価値を主張する書き方である。
もう一方は、制度と関係を語る層である。乾久美子氏は、文化的価値の評価が定まらない段階で判断を留保する力を制度として実装できないかと問うた。藤村龍至氏は、設計者や施工者が日頃から行政の隣にいられないかと問うた。どちらも過去の価値ではなく、将来の仕組みを提案している。
私はこの差を、連載の批評として書きたいわけではない。上の世代が古いという文章を書きたいのではない。そう書けば分かりやすいが、それでは問題の本質を見失う。
私はこの差を足場として使う。なぜ、価値を語る書き手と、仕組みを語る書き手に分かれたのか。その理由が、この建物をめぐる問題の経緯そのものに書き込まれているように思う。
結論を先に書く。価値は、語られていた。県も理解している。国際的な組織も動いていた。それでも壊される。だから現在進行系で行政と付き合っている書き手は別の言語を探している。上の世代が古いのではない。建築の価値を語れば建築が残った時代の「型」が、終わっているのである。
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まず、この件でもっとも誤解されている点から始める。
香川県は、この建物の価値を正確に理解している。
その証拠は、県自身が作った文書のなかにある。2021年のサウンディング型市場調査の実施要領、その第1項第2号に、建物の建築的特徴の記述がある。
我が国最初期の吊り屋根構造として位置づけ、その系譜のなかに置いている。ブリヂストン横浜工場体育館(菊竹清訓、1960年、現存せず)、西条市体育館(坂倉準三、1961年、現存せず)、市村記念体育館(坂倉準三、1963年)に次いで完成したものである、と。設計時に日本刀の反りがイメージされたこと。敷地に和泉正敏による石組があること。ここまで過不足なく正確に書いてある。

1枚物のリーフレットのほうも同様である。県はこれを一貫してパンフレットと呼んでいる。国立代々木競技場と同時並行で設計が進められた双子の建築という位置づけから始まり、戦後モダニズム建築の聖地Kagawaという見出しのもとに、瀬戸内海歴史民俗資料館、香川国際交流会館、坂出人工土地、香川県文化会館、五色台山の家、百十四銀行本店を並べている。猪熊弦一郎、剣持勇、流政之、イサム・ノグチ、ジョージ・ナカシマ、地中美術館、豊島美術館、瀬戸内国際芸術祭。英語版も作られた。

北山恒氏は2本目で、行政の文化認識の貧困という趣旨の断定を書いた。この断定は、県が作ったこの2つの文書によって否定される。藤村氏が6本目でその点を指摘したのは正確である。
県は分かっている。分かっていて、解体を決めた。
外から見ると、県が文化を分かっていないように見える。実際には分かっている人が中枢にいて、それでも解体になった。この違いを説明することが、県外から香川県を断罪している人たちに対して、県の代弁者として私が果たせる数少ない役割である。
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2つの代表的な丹下作品が香川にはある。(丹下作品としては県営一宮団地を含め3つある)
1つ目は香川県庁舎東館。竣工は1958年、日本最初期のセンターコア形式のビルディングタイプと言われ、日本の柱梁の様式を近代建築に落とし込んだとして世界的に評価されている作品。
1997年に耐震診断で耐震性能の不足が判明した。そこから、文化的価値と庁舎機能を落とさない補強方法の検討に時間が費やされる。2012年に詳細調査と診断が実施され、複数の耐震改修工法と新築案が比較検討され、2013年度から専門家の助言と県議会での議論を経て、2014年に基礎下免震の採用が決まった。2016年から2019年にかけて約42億円をかけて工事が行われ、2020年10月に完成見学会。2022年2月9日、香川県庁舎旧本館及び東館として国の重要文化財に指定されている。
そして2つ目の旧香川県立体育館の耐震診断も2012年である。
同じ年に、同じ発注者が、同じ設計者の2つの建物の耐震性能を調べた。片方は文化的価値を保つ工法を探し42億円を投じて改修し、そして国の重要文化財になった。もう片方は耐震診断を根拠として、11年後に解体が決まった。
庁舎と体育館の扱いの落差には、連載でも9本目の山名善之氏と12本目のケン・タダシ・オオシマ氏が触れている。さかのぼれば、2023年2月、県が解体方針を決めた直後に、BUNGA NETの宮沢洋氏も近いことを書いている。県の人たちを敵視しているわけではない、香川県庁舎については免震改修して残すという判断をした人たちである、そんな人たちがこの提案を見て何もなかったようにスルーするのはさすがにどうなのか、と。3年前に、同じ媒体で、同じ対比が置かれていた。

2013年香川県は日本初となる丹下健三の回顧展「丹下健三生誕100周年プロジェクト 丹下健三伝統と創造ー瀬戸内から世界へ」を主催しており、県が丹下健三の作品の文化的価値を理解していないという批判は的を外している。では、県にとって庁舎と体育館では何が違うのか、という問いを立てる材料になる。
予想される県からの答えは分かっている。東館は現役の庁舎であり、機能を持ち続けていた。旧県立体育館は2012年に天井が落下する恐れがある事が判明し、アリーナが使用できなくなり競技施設としての機能を閉館時点で、すでに失っていた。用途がある建物と、用途を失った建物。県はそう説明するはずであり、その説明には筋が通っている。文化的価値だけで42億円は出ない。42億円が出たのは、そこが庁舎で使い続けていたからである。
ならば、用途を作るための手続きは何だったのか。
その問いが第3部の主題になる。ここでは、用途がなければ価値は判断の枠内に入らない、という1点だけを確認しておく。
価値の言語は、用途の言語に翻訳されないかぎり、行政の判断のなかで作動しない。
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金額の数字を出しておく。総額だけ並べても意味が取れないので、坪単価に直す。
県教育委員会の資料によれば、旧香川県立体育館の延べ面積は4707.513平方メートル、約1424坪である。
県自身の改修費試算がある。令和2年度(2020年)に発注した場合として、耐震改修工事費10億9600万円、降雨対策費2億260万円、耐震改修に伴う設備改修費1億7600万円、物価上昇分1億6368万円。工事価格16億3828万円、税込18億210万8000円。県は約18億円余と記載している。坪あたり約127万円になる。
私が2021年のサウンディング型市場調査に提出した提案では、段階施工を前提に、事業を始めるための1期工事を13.4億円としていた。坪あたり約94万円である。三期までの合計は21.6億円で、坪あたり約152万円になる。三期には大幅な設備更新まで含まれる。詳しい内訳は第3部に書く。この数字は県が算定したものではない。私が81枚の概算見積表を作って積み上げたものである。
解体工事の契約額は8億4700万円である。県資料の延べ面積で割ると坪あたり約60万円、入札公告に示された解体規模の5423平方メートル、これは天井裏の倉庫や外構等を含むと思われるが、そちらで割ると坪あたり約52万円になる。どちらの面積で割ったかは明示しないと比較にならない。
2025年に再生委員会が示した案の初期投資は30億円から60億円で、坪あたり約211万円から421万円である。これは耐震補強に加えて用途変更のためのハードとソフトの整備を含み、4年分の建設物価の上昇が乗っている。前の数字と矛盾するのではなく、範囲と時点が違う。金額を並べるときは、どこまでの工事を含み、いつの物価で積んだのかを必ず添えなければ意味が取れない。
※ちなみに約60年前の建物の総工費は2億円余である、この様にいつの時点の見積もりであるのかを明示しないと比べようもない。
並べるとこうなる。始めるのに坪あたり94万円、県の試算どおり全体を耐震改修して坪あたり127万円、壊すのに坪あたり60万円。
そして、同じ設計者の2016年から2019年に行った県庁舎東館の耐震改修工事には42億円が出ている。延床面積は約3591坪なので、坪あたり約117万円である。県が旧香川県立体育館の改修に要ると試算した坪あたり127万円と、ほとんど変わらない。総額の差は、主に建物の大きさの差である。
坪単価に直すと、この建物の改修費が非現実的な数字ではないことが見える。総額で20億円と言われると大きく聞こえるが、坪130万円前後というのは、既存建築の全面改修としては標準的な水準である。田根氏が制度を語り、隈氏が価値を語ったその横で、実は数字のほうはずっと穏当だった。
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その上で、県の説明には別の筋もある。財政である。
香川県の令和4年度(2022年)当初予算の規模は4953億円。基金残高の年度末見込額は、令和7年度(2025年)当初で財源対策用基金223億円、特定目的基金293億円、合わせて500億円台である。18億円は、この規模の中で出せない金額ではない。ただし、出せる金額であることと、出すべき金額であることは別だという反論は当然ありうる。
そこで、同じ県のもう1つの事例を置く。
県立中央病院の跡地である。2016年12月に閉会した11月定例県議会で、約16億1000万円をかけて解体する議案が可決された。2019年10月末までに更地にする計画だった。更地化後に民間へ一括売却して18億円の売却益を見込んでいたが、敷地の用途地域が近隣商業地域と第二種中高層住居専用地域に分かれているため、一括売却が頓挫する。2021年9月の県民の声への回答では、事業の実施は新たな財政負担を伴うため、財政状況も考慮しながら実施時期を含めて慎重に検討する必要がある、とされている。
県は、この跡地を解体して更地にするために約16億1000万円を支出した。そして、更地にしたあとの跡地の活用については、県自身が、新たな財政負担を伴うことを理由に慎重な検討が必要だとしており、跡地はいまも更地のままである。

香川県立中央病院 解体風景/PHOTO:Noriyuki Kawanishi
旧香川県立体育館についても、県は解体後の敷地の利用は白紙であると公表している。壊すための予算は決まっていて、壊したあとに何をするかは決まっていない。
田根剛氏は一本目で5項目の制度提案を書いた。欧州との比較から入り、日本には制度がないという趣旨の書き方になっている。これは反論されうる。日本にも文化財保護法があり、登録有形文化財の制度があり、公共施設等総合管理計画がある。制度はある。
本来突くべきは、制度の不在ではなく、非対称のほうである。解体には予算がつき、保存活用には財政負担という言葉がつく。同じ県の、ほとんど同じ時期に、その非対称が2つの土地の上で起きている。制度がないのではない。既存の制度の組み合わせ方が、一方向にだけ滑らかにできている。
これは私の見立てを含む。地方債の細目まで確かめた上で書いているわけではない。だが、香川県内で実際に起きたことを2つ並べれば、問いの形は立つ。同じ県が、壊すためには約16億1000万円を支出し、活かすための予算については財政状況を理由に検討中のままにしている。この差はどこから来るのか。
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ここから、価値の言語がどのように届かなかったかの話に入る。ここは私自身が当事者なので、先に開示しておく。
私は、DOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of Modern Movement、モダン・ムーブメントに関わる建物と環境形成の記録調査および保存のための組織)の日本支部、DOCOMOMO Japanの正規会員である。DOCOMOMO Japanは価値ある近代建築を選定する活動を続けており、毎年選ばれた建物がリストに加えられている。そして私は2015年から2023年まで、毎年9月に旧香川県立体育館の推薦文を提出していた。香川にはもう1人会員がいて、その人も同じ年に別途、推薦文を出している。毎年2通が届いていたことになる。9年連続で、9年とも、選定されていない。
DOCOMOMO Japanの選定建築物は、会員からの推薦にもとづいて選ばれる。推薦募集は9月に始まり、翌年の半ばに選定が発表される流れである。2015年9月の推薦は2016年の発表に、2023年9月の推薦は2024年の発表に対応する。
その間に、選定件数は184件から290件へ、106件増えている。年平均12件ほどである。9年で106件が新たに選ばれ、そのなかにこの建物はなかった。
まず、誰も推薦しなかったという説明は成立しない。推薦は9年間、毎年届いていた。
そして、届いていたことは組織の側の文書でも確認できる。2025年8月25日付でDOCOMOMO Japanが香川県知事、県議会議長、県教育委員会教育長の3者に宛てた要望書には、この建物が暫定リストに掲載されていることが明記されている。暫定作品リストは選定建築を選定する母体となる未公開のリストで、約200件が掲載され、毎年、推薦された作品が追記される、という注記がある。本文には、本会選定建築と同等の価値の高いモダンムーブメントの建築と考えている、とある。
推薦は届き非公開のリストには載り、選定建築物と同等の価値と認識され、9年間、そこから動かなかった。
旧香川県立体育館は退けられたのでもなければ、無視されたのでもない。非公開のリストに載ったまま動かなかった、というのが正確な姿である。
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比較のために、選ばれた側を書いておく。
香川県からは、
香川県庁舎(no.16、丹下健三、1958年)
百十四銀行本店(no.80、日建設計、1966年)
坂出市人工土地(no.93、大髙正人、1968年)
瀬戸内海歴史民俗資料館(no.163、香川県建築課・山本忠司、1973年)
直島文教地区(no.277)
が選定されている。
そして、国立代々木競技場も選定されている。
選定の一覧には竣工当時の名称である国立屋内総合競技場として記載されており、no.18、丹下健三、1964年である。
代々木は選ばれ、同じ年に生まれた兄弟は選ばれていない。
体育館という用途でも、新潟市体育館、駒沢公園体育館、岩手県営体育館、蒲郡市民体育館、三春町民体育館、佐賀県体育館、坂城町文化センター体育館が選定されている。県立規模のものも複数ある。

岩手県営体育館/PHOTO:Noriyuki Kawanishi
そして、県が作ったサウンディング型市場調査の案内には位置図が載っている。その地図には、香川県庁舎東館と百十四銀行本店に、DOCOMOMO選定という注記が入っている。地図の中心にある旧香川県立体育館には、その注記がない。

県が作った資料のなかで、この建物が選定されていないことが示されている。
選定の有無は、実務にも効く。選定建築物であれば、それ自体が保存を求める根拠になったはずである。県の資料に注記が入り、事業者にとっては価値の裏づけになり、募集要領のなかで1行の重みが変わる。それがなかった。
因果は書けない。選考から外れていた理由は公表されず、外からは分からない。所有者の協力が得られない建物を選定から外す運用がありうるなど、考えられる説明はいくつもある。
書けるのは、期間の重なりだけである。推薦を始めた2015年は、新香川県立体育館の整備検討委員会が始まった年である。推薦を終えた2023年は、県が解体方針を決めた年である。9年の推薦期間は、新旧二つの香川県立体育館の行方が決まっていく期間をそのまま挟んでいる。
因果関係は分からない。ただ、時期が重なっていたことは記録しておきたい。
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国外と国内で4年の差がある。
DOCOMOMO Internationalの公式ページには、2021年10月19日付で、この建物の署名の呼びかけが投稿されていた。表題はSave Kagawa Prefectural Gymnasium。change.orgの署名ページへのリンクがあり、詳細情報として本部サイトの該当ページが示されている。そのページは現在削除されている。
日付を見てほしい。2021年10月19日は、サウンディング型市場調査の提案書提出締切である10月21日の2日前、提出を目前にした最終局面である。国際本部は、サウンディングの渦中に署名を呼びかけていた。
投稿は、修復と再利用の買い手が現れなければ解体される可能性が高い、という認識を示している。2018年のワールド・モニュメント財団、危機に瀕する文化遺産を選定して支援する国際的な民間団体のウォッチリストに掲載されたことにも触れている。2021年の時点で、買い手の有無が分かれ目であることは国際的に共有されていた。
日本支部の要望書は、2025年8月25日である。約4年の差がある。そしてこの日付は、再生委員会が買い取りの意思を示した1か月後、県が解体工事の入札を公告した18日後、入札の実施の11日前にあたる。解体の手続きが動き出してからの意思表示である。
2014年に現地を視察して保存を強く推奨したのは、DOCOMOMO Internationalの当時の会長らである。国内の記事では本部と支部が「ドコモモ」と一括りに書かれることがあり、そのままでは両者の動きの差が見えない。一次資料に当たると、はっきり分かれる。本部は2014年に動き、2021年に署名を呼びかけている。支部の公式の意思表示は2025年である。
閉館時ニュース(産経新聞)
丹下建築の体育館は香川の誇り 閉館惜しみ保存よびかけ
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DOCOMOMO Japanの要望書には、大事な注記がある。
注3に、これまで3か月から10か月程度の募集期間の末、応募がない、または条件が合わないとして、DOCOMOMO Japan選定建築の旧羽島市庁舎などが解体されたこと、募集期間が短すぎると考え、募集期間の延長や解体の延期を要望してきたこと、が書かれている。本文には、具体的な再生提案までには2年から5年を要すると考えている、とある。
つまり、募集期間が短すぎるという問題を、この組織は課題として認識し、他の案件では要望を出してきた。
香川のサウンディング型市場調査は、要領に書かれた申込期間が2か月余りである。しかも建物の価値を伝えるパンフレットが出たのは、申込締切の1か月足らず前だった。その時点でDOCOMOMO Japanからの要望は出ていない。
注3が例に挙げているのは選定建築である。香川は暫定リストである。
9年推薦しても選定に至らず、選定建築でないために、募集期間が短いという組織の問題意識が香川には及ばなかったのかもしれない。
これも因果としては書けない。組織が、選定建築でないから動かなかったと述べたわけではない。並置までにとどめる。
だが、並べた結果として見えてくる形はある。誰も拒んでいない。誰も間違っていない。それでも動かない。第1部で書いた評価委員会と、まったく同じ形をしている。妥当な運用を積み上げた結果として、この建物についてだけ、どの回路も作動しなかった。
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もう1つ、価値の言語がどう摩耗したかを示す事実がある。閉館の理由の説明が、少なくとも4通り流通していることである。
老朽化。耐震性能の不足。改修工事費の高騰。屋根の漏水。
DOCOMOMO Internationalの投稿が引いている記述では、吊り材の錆による屋根の漏水が閉館につながったとされている。
県の公式の説明は、耐震改修工事費が多額に上ることと、競技施設としての機能が不十分であることである。2015年11月の県議会では、質問した議員は屋根が落下する危険性と述べ、教育長は同じ場で天井が落下する可能性から立ち入りをお断りしていると述べている。屋根と天井が使い分けられている。ただしこの建物では、吊られたプレキャストコンクリート版、工場などであらかじめ成形しておくコンクリートの板だが、それが屋根であると同時に内側から見れば天井にもあたる。ほぼ同一の部材なので、言い分けは意図的なものではないかもしれない。
平成24年度の耐震診断そのものは、屋根中央付近のプレキャストコンクリート版の鉄筋やシース管の腐食破断と断面欠損を指摘する一方、崩壊形式としては壁のせん断破壊と大柱支持杭の圧壊および浮き上がりによる強度型を挙げている。コンクリート強度は各階とも設計基準強度を上回り、不同沈下は生じていないと考えられるとし、柱の傾斜も1998年と同様としている。
どの説明が正しいかは、私は書かない。いま裁判で争われている論点そのものに触れるからである。片側だけを引くこともしない。
書けるのは、言い換えの積み重なりが通念を作ってきた、ということである。老朽化した危ない建物、という一言に縮んだとき、それを解きほぐすのに要する言葉の量は、縮める側の何倍にもなる。価値の言語は長く、通念の言語は短い。この非対称は、制度の問題ではなく、単に言葉の性質である。だが実際の勝敗はここで決まっている。
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隈研吾氏は5本目で、代々木とこの建物を1つの重要なカップルとして位置づけた。国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会の代表理事という立場からの発言であり、連続性のある複数資産としての登録可能性を含意しうる。実務的に使える主張である。東京対地方、東対西という軸の提示も有効だと思う。

国立代々木競技場/PHOTO:ゆうさかな(物語を届けるしごと)
ただ、比較の中身が書かれていない。そして、中身にこそ、氏が立てた軸の答えが入っている。
代々木は、2本の主柱から吊られたメインケーブルの反力を、地中のアンカーブロックで受けている。建物の外側に、力を逃がすための巨大な仕掛けを持っている。周囲の敷地を含めて1つの構造物になっている、と言ってもいい。
香川は違う。吊られた屋根の反力を、両端の躯体(くたい)そのもので受けている。外部にアンカーを持たない。力の釣り合いが建物の内側で完結している。あの船のような形は、意匠の思いつきではなく、反力を自己完結させた結果として現れた形である。日本刀の反りという説明は県の資料にも書かれているが、それは形の説明であって、構造の説明ではない。
だから、この2つは兄弟ではあるが、同じ体つきの兄弟ではない。
代々木には、外に反力を逃がすための土地があった。香川の敷地は狭かった。狭いところで同じ構造表現はできない、力を建物の内部に封じ込めるしかない。その制約が、結果として、代々木にはない造形を生んだ。
つまり、東京対地方という差は、この2つの建物では、構造形式そのものとして現れている。地方の劣位ではない。制約が固有の解を生んだ例である。カップルとして語るなら、そこまで言えたはずだと私は思う。
そして、この差は保存の実務にも効く。外部アンカーを持たない構造は、屋根の重量が躯体全体の力の流れに影響する。だから改修の難易度が上がり、施工者が慎重になる。2013年から2014年の3度の入札不調について、県が聞き取った理由のなかに、吊り屋根構造の特殊性と、全国でも改修事例が少なく施工の難易度が高いことが挙げられていた。あれは、この建物の構造形式から出てくる困難さである。
構造の話は、価値の話であると同時に、費用の話でもある。この2つを別々の言語で語っているかぎり、価値を語る側の言葉は、判断する側に届かない。
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田根剛氏の5項目のうち、私がもっとも展開されるべきだと思ったのは、耐用年数の項目である。
耐用年数と構造的寿命は、まったく違うものである。
減価償却資産の耐用年数は税制上の区分であり、鉄筋コンクリート造の事務所なら50年といった数字が定められている。これは会計上の期間であって、建物がいつ危なくなるかを示す数字ではない。公共施設等総合管理計画で使われる更新時期の目安も、多くは同種の年数を基礎にしている。
構造的寿命は、材料の劣化と、その建物が受け続けてきた荷重と、環境の履歴から決まる。一律の年数はない。
この建物の2012年の耐震診断は、その差をよく示している。推定された圧縮強度は、各階とも設計基準強度を上回っていた。中性化(ちゅうせいか)、コンクリートが空気中の二酸化炭素で劣化して鉄筋を守る力を失っていく現象だが、それが主鉄筋に到達するまでの年数は27年と算定されている。不同沈下は生じていないと考えられるとされ、柱の傾斜も1998年と同様で、傾斜は見られなかったとされている。躯体の耐震性能を大きく低減させるひび割れも見られなかった、と書かれている。
その一方で、屋根を形成する1436枚のプレキャストコンクリート版について、中央付近の版にて、目地モルタルの空隙と雨水の滞留により、鉄筋やシース管の腐食破断と断面欠損が確認され、1998年と比べて中央付近では急激に腐食が進行している、とされている。
つまり、コンクリートの躯体そのものは50年近く経っても健全で、劣化が進んでいたのは屋根まわりの特定の部位だった。
これが構造的寿命というものの実際の姿である。建物全体が一様に古びるのではない。特定の部位が特定の理由で傷む。そして特定の部位は、原理的には直せる。
老朽化という一語は、この差を丸ごとを消してしまう。50年経った建物、という言い方が通念になった瞬間、どこがどう傷んでいるのかという問いは立たなくなる。
私は、この建物が安全だとも危険だとも書かない。それはいま裁判で争われている論点であり、意見が対立している場所である。診断書の健全な部分だけを引いて主張に使うことは、保存を求める側であってもやってはならないと思っている。再生委員会も同様の姿勢だと思う。
書けるのは、耐用年数という言葉と構造的寿命という言葉が、行政の文書のなかでも、報道のなかでも、しばしば同じものとして扱われている、ということである。田根氏の5項目のうち、実務的にもっとも効くのはここだと私は思う。公共建築の処分の判断において、会計上の年数を根拠にしないこと。これは制度として書ける。
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そして、この件には50年という数字がもう一度出てくる。
旧香川県立体育館は1964年竣工、2014年9月末の閉館である。ちょうど50年目にあたる。
登録有形文化財の登録基準は、原則として建設後50年を経過したものである。DOCOMOMOの選定にも同様の目安がある。
つまり、この建物が文化財として評価の対象になり得る資格を得たのが2014年である。
同じ2014年に、閉館している。

旧香川県立体育館(船の体育館)/PHOTO:Noriyuki Kawanishi
そして第6節に書いた通り、その後の9年間、推薦は毎年届き、暫定リストには載り、選定には至らなかった。制度の入口には立てたが、通れなかった。
これは香川に限った偶然ではない。戦後に建てられた建築の多くは、価値を評価される資格を得る時期と、機能的に限界を迎える時期が重なる。50年という数字は、文化財制度の入口でもあり、減価償却の目安でもあり、設備更新の周期でもあり、自治体の公共施設等総合管理計画で更新か廃止かを判断する分岐点でもある。
同じ50年が、片方では評価の始まりで、もう片方では処分の検討の始まりになっている。
資格を得た瞬間に、その建物は同時に処分の検討対象になる。価値が正当に評価されるための期間が、構造的に存在しない。
私はここで、制度が悪いという話をしているのではない。二つの50年が同じ年に来る、という事実を置いている。田根氏が挙げた耐用年数の項目は、こうして具体的な形を持つ。会計上の年数を処分の根拠にしないこと。それに加えて、文化財としての評価の手続きと、施設の更新の判断の手続きが、同じ時期に、まったく別々に走っているはずで、双方を接続し議論することを。
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価値の言語が届かなかった理由には、香川に固有の事情もある。書いておく。
香川には、建築を教える大学が長いあいだなかった。いまは建築を学べる学科が創設されたが、この建物の行方が揺れていた時期には、それがない。建築系の学科を持つ高等教育機関がないということは、その土地に、建物を研究対象として公の場で語り育てる職能が組織として存在しないということである。研究室がない。学生がいない。卒業論文の対象にならない。地元のメディアが意見を求める先がない。
そして、日本建築学会四国支部の香川支所は、長らく県の営繕課長が支所長を務めるのが慣例だ。
これは悪意の産物ではない。地方の支所を回すには、地元で建築行政の実務を束ねている人が就くのが合理的である。人手も限られている。誰かが引き受けなければ支所は回らない。
ただし、結果として何が起きるか。地元の学会という回路と、県の営繕という回路が、同じ人のところで一本にまとまる。学会経由で県の外へ、あるいは県の上へ情報が伝わるという道が、構造的に細くなる。
第1部で書いた評価委員会と同じ形である。妥当な運用が、結果として回路を1つに束ねる。
もし当時から香川に建築系の学部があり、学会の支所が県の営繕から独立して回っていたら、2013年の3度の入札不調は、その時点で技術的な議題になっていたかもしれない。吊り屋根構造の改修が全国的にも事例の少ない難工事であることは、県自身が聞き取って文書に残していた。それは学術的にも実務的にも十分に議題になる内容である。議題にする場が、この土地になかった。
私はここで、県外の学会が動くべきだったとは書かない。県外から見て、香川の1つの体育館の入札不調が議題に見えるはずがない。地元で議題にならなかったものが、県外で議題になることはない。
ただし、学会がこの建物を扱わなかったわけではない。ここは正確に書いておく。

高知工科大学での支部総会/PHOTO:Noriyuki Kawanishi
2016年5月14日、高知工科大学で行われた日本建築学会四国支部の総会で、香川県立体育館調査研究委員会の報告が行われている。委員長は、かつて山本忠司の事務所にいた建築家平野佑一氏である。閉館中のこの建物について、独特なデザインと構造に着目し、成立の歴史的経緯の解明と資料収集と建物調査を行い、報告書にまとめて丹下作品の研究の一助とすること、というのが委員会の目的だった。
報告された作業の中身は具体的である。図面の収集では、香川県が所有する図面が県立文書館と倉庫に計117枚あることを確認している。原図面は県外にあり、ハーバード大学に保管されていると報告されている。私は現物を見ていないので、ここは聞いている話として書く。実測調査では、その3週間ほど前に取得された三次元データと図面の差異を確認している。
そして2018年、この委員会と私たちの会、船の体育館再生の会との共同で、関係者への聞き取りが行われた。
旧香川県立体育館を丹下都市建築設計事務所との共同で設計をした集団制作建築事務所のメンバーで、当時85歳の方から設計の過程を聞いている。構造設計を担当した岡本剛建築設計の担当者、当時80代の方からも話を聞いている。施工にあたった清水建設の現場担当者、当時81歳の方からは現場の様子を聞き、1965年1・2月号の社内報と工事写真を閲覧して複写している。
意匠と構造と施工、三つの側から直接話を聞いたことになる。いずれもこの時点で80代である。いま同じことをやろうとしても、もうできない。

聞き取りの様子/PHOTO:Noriyuki Kawanishi
この他に何度か、学会という組織の名のもとに調査なども行われた。
ただし、その後、県内の学会内でどの様に扱われたかが重要である。香川県内で議論が高まって上に伝わった、という形跡はない。四国支部から報告を求められた形であり、その経路を作ったのは、私とは別の一人の学会員である。そして2018年の調査は、学会の委員会と、保存を求める側の団体との共同だった。県の側と、この作業が繋がった形跡はない。
組織の回路ではなく、個人の回路だったとも言える。
支所長の職は回っていた。会議も開かれていた。だが、そこから議論が起き、上に伝わる仕組みにはなっていなかった。上に伝わったのは、たまたま積極的に動く個人がいたからである。そして個人の回路は、その人が動けなくなれば止まる。
図面の所在についても、同じことが言える。いま、この建物の図面がどこにあるかを並べると、こうなる。県が持っているものは青焼き図面で117枚。原図面はすべてハーバード大学。そして2024年、構造設計者の自宅から検討段階の構造図が見つかり、現在は東海大学にある。検討段階の意匠図は、丹下事務所と共同で設計にあたった集団制作建築事務所の方が名誉教授を務める室蘭工業大学にある。
一つの建物の図面が、国内外の四か所に分かれている。県内にあるものは複製である。
委員会は2016年の時点で、県内の枚数も原図面の行き先も突き止めていた。
こうした調査の成果は、この建物の価値を語る場面で、私たちも大いに活用させて頂いた。学会と共に調べた情報が、私たちを通じて旧香川県立体育館再生委員会へ渡り、現在も社会へ届いている。
ただし、どう直せば使えるのか、どういう用途なら成り立つのか。その問いに学会の知見が正規の回路を通って使われた形跡は、私の知る範囲でない。
学会の回路はあった。しかし香川県の所有する旧香川県立体育館の問題については正規の回路で上には伝わらなかった。
私は2021年2月に元建築学会長と繋がることが出来たが、それは旧香川県立体育館と関係のない頃からの個人的な人間関係の延長線上での出来事である。
どう直せば使えるのかを語る言語は、語る場所と、その場所から上へ伝わる回路がなければ、どこにも届かない。連載の42人のうち何人が、2013年の入札不調をリアルタイムで知っていただろうか。この建物に建築的価値があることは、県外にも届いていた。しかし耐震改修工事が3度不調になった、その原因が学術的にどう評価できるのかは届いていなかった。私は誰も責めていない。ただ、それを伝える回路が、香川になかったのである。
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では、対立の構図が鮮明になってからはどうだったか。
香川県に宛てて出された要望書、嘆願書、書簡を並べておく。私が把握している範囲である。
当事者にあたるものは除いた。再生委員会自身が出したものと、設計者側から出されたものである。どちらもこの建物と直接の関わりを持つ立場からの発信なので、以下の一覧には入れていない。
2023年
・ワールド・モニュメント財団(WMF)から県へ、解体方針についての声明。
2025年4月
・ハーバード大学デザイン大学院の上級教員から県知事へ、解体の再考を求める嘆願書。
2025年5月
・日本建築家協会四国支部から県教育委員会へ、解体の延期と時間をかけた検討を求める要望。
・ハーバード大学とイリノイ大学の関係者から県知事へ、保存を求める書面。
2025年7月
・ハーバード大学デザイン大学院の上級教員から県知事へ、改めて解体の再考を求める書簡。
・ニューヨーク近代美術館(MoMA)から県知事へ、保存を求める嘆願書。
・イリノイ大学から県知事へ、同じく嘆願書。
・米国建築史家協会から県知事と高松市長へ、解体再考の正式な要請。
2025年8月
・文化庁の建築文化ワーキンググループの委員から県側へ、建築文化政策の上でのモデル性を指摘する見解。
・DOCOMOMO Japanから県へ、解体方針の再考と協力の申し出。
・日本建築家協会の会長から知事、県議会議長、各会派へ、保存活用と協議の場を求める要望。
発信者の顔ぶれを見てほしい。国際的な文化遺産の保護団体。米国の大学が二つ。ニューヨーク近代美術館。米国の建築史家の学術団体。国内の建築家の職能団体が支部と本部の両方。DOCOMOMOの日本支部。そして文化庁の建築文化ワーキンググループの委員。
いずれも、この建物の存廃で自分が得をする立場にない。利害のない外部から、これだけの数が同じことを言っている。価値を語る言語として、これ以上の布陣はちょっと考えつかない。
それでも、行政の判断とは接続しなかった。
私の知るかぎり、これらを受けて県が方針を再検討したという公表はない。この間に解体工事の入札が行われ、契約が結ばれ、着手されている。
日付にも意味がある。2023年の一件を除けば、全部が2025年4月からの5か月に収まっている。
この集中は、この建物が知られたから起きたのではない。まず、県が解体を実行に移す意思をはっきり示したから起きている。方針が決まったのは2023年2月だが、その後しばらくは、まだ何かが変わるかもしれない段階だった。2025年に入って、それが本当に壊す段取りとして動き出す。そこで声が出はじめる。
そして7月、再生委員会が買い取りの意思を示した。ここから、声はさらに集中する。8月だけで三件が出ている。
つまりこれらは、価値を訴えて判断を促そうとした声ではない。判断がもう終わっていて、実行が始まる直前に出された声である。
そして、これだけ出ても、動かなかった。
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以上を並べると、世代差に見えていたものの正体が見えてくる。
価値は語られていた。県自身が語っていた。国際組織が2014年から動いていた。2018年のWMFウォッチリストに載り、海外の大学が視察に来た。日本国内の建築界も、価値を否定してはいなかった。暫定リストには載っていた。
それでも解体が決まった。そして決まったあと、前節に並べただけの声が届いても、決定は動かなかった。
上の世代が価値を語る書き方をするのは、建物が生きていた時代を共に過ごし、そしてその言語で建物が守られた時代を実際に生きてきたからだろう。用途変更のスキームがなくても、事業計画がなくても、この建物には価値があると権威が言えば、止まった時代があったのかもしれない。彼らが古いのではない。彼らが信じる価値の言語が有効だった条件のほうが、おそらく消えたのである。
前節の一覧は、その言語がどれだけ大きな声で語られても、もう単独では止められないことの証拠になっている。
下の世代が制度と関係を語るのは、その条件が消えた後から仕事を始めたからである。乾氏が判断を留保する力の実装を問い、藤村氏が行政の隣にいることを問うのは、価値を語っても止まらないことを前提にしているからだ。
だから連載の2つの層は、対立しているのではない。同じ現象を、有効性を失う前と後から見ている。
そして私は、後者の側で12年動いてきた人間である。制度と関係の側で、できることを1つずつやってきた。DOCOMOMOへの推薦を9年続けた。国際的な危機遺産リストへの推薦をした。海外の大学の視察を手助けした。市場調査に事業計画を出した。県議会議員選挙に出たこともある。
だから私が書けるのは、その処方箋を実践した人間としての報告である。批評ではない。
そして報告の内容は、こうなる。制度と関係の側の処方箋も、この件では条件が足りなかった。
その条件が何であるかは、私が提案者としてもっとも近くで見た手続きのなかに、いちばんはっきり出ている。
第3部につづく
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