
この文章は、BUNGA NETの連載「アーキテクトボイス50─旧香川県立体育館に思う」を読んで書いたものである。連載は50人を予定していたが、中断していた解体工事の再開を目前にした2026年10月14日、42人目で当面の休載となった。番号は予定に合わせ、この文章を51本目とする。 4部に分けて、次の日程で掲載する(予定) 51本目「旧香川県立体育館に思う」
第1部 隣にはいた 10月16日第2部 価値の言語 10月17日第3部 市場調査という名の関門 10月19日第4部 検証できない決定 10月20日 BUNGA NETの連載に寄せられた42人の文章のなかに、香川を拠点に活動する書き手はいなかった。この建物の利用者であり、この土地で設計をしている者が、この連載に応えて書くのは、これが初めてになる。 はじめに、二つのことを断っておく。
一つ目は、書いている位置である。私は2014年7月に香川県立体育館保存の会を立ち上げ、9月末の閉館までに、中で利用している人たちの様子も含めて、開館している時にしか撮れない写真を撮りためた。(撮りためた写真は、写真集「船の体育館」として今も販売中である)閉館してからいまに至るまで、この建物が使われていた記憶と、建てられた歴史を伝え続けている。会はのちに一般社団法人 船の体育館再生の会に改組し、そして私はこの建物を12年見続けてきた。2025年からは、長田慶太さんを委員長とする旧香川県立体育館再生委員会が、この建物を残すための取り組みの先頭に立っている。
私たちの会とは別の団体だが、目指しているところは同じである。私が前に出にくくなっていた時期に、長田さんが動き出してくれた。そのことに感謝している。
同じ出来事でも、どこから、どれだけの期間見ていたかで、見え方は変わる。再生委員会の側から語られてきたことと、ここに書くことのあいだに違いがあるとすれば、それは見ていた位置の違いによるものだと思う。
どちらが正しいかを決めるために書くのではない。12年見続けてきた一人の位置から見えたものを、記録として残すために書く。再生委員会がこれまで語ってきた経緯とあわせて読んでいただければ、この建物をめぐる時間が、より立体的に見えてくると思う。 二つ目は、この文章の成り立ちである。私はこれを、連載の序盤に掲載された藤村龍至氏の寄稿に答える形で、2014年と2015年、そして2021年に何があったのかを書くところから始めた。書き進めるうちに、今は矢面に立っていないからだろうか当時は見えていなかった論点がいくつも出てきた。1万字を超えたあたりで、これまでの活動をまとめる論考にしようと考え、出てきた論点を一つずつ拾い集めていった結果、いまの4部構成になった。そのため、連載の中盤以降に寄せられた文章には、一部を除いて、個別に応答できていない。応答していないことは、軽んじたということではない。書き始めた位置の都合である。 本文では、公表資料から書ける部分と、私の手元の記録からしか書けない部分を、そのつど分けて示す。また、私自身がこれまでにしてきた説明のうち、不正確だったものは、本文のなかで訂正している。
2026年10月15日 河西範幸
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